2021.03.13 17:00
『祝福家庭』94号(2019年 秋季号)
倉本正彦先生の講話
「祝福家庭を愛される真の父母様」
〜韓日・日韓のマッチングを始めるために〜
韓日・日韓のマッチングの多かった、「6500双国際合同祝福結婚式」(韓国・京畿道龍仁〈キョンギドヨンイン〉)は1988年10月30日に行われました。
その時のエピソードをお話しします。
真のお父様は、(韓国の候補者に向かって)「日本人を希望する者は前へ出なさい」と指示なさいましたが、みな躊躇して、前に出る候補者はごくわずかでした。
お父様は、なぜ交叉祝福が必要なのか、繰り返し繰り返し、いろいろな角度から説得されました。
朝8時から始まったみ言は、12時間を超えました。お父様は夕食も召し上がらず、「これを全部片付けてしまわなくてはいけません。先生は命懸けです」と語られるのですが、それでも状況はあまり変わりません。
当時の韓国人にとって日本人との結婚には難しい問題が山積していました。
家族や親族が反対します。中には、日本人から迫害されたという人もいます。
さらに過去のマッチングの経緯から見て、「最終的には韓国人同士で組んでくださるだろう」との思いもあったようです。
しかし、お父様は最後まで譲ることはなさいません。
結局、「今回の祝福はやめた。みな帰りなさい! 日本も(候補者の)写真を持って帰りなさい!」とおっしゃり、会場をあとにされました。
私たちは、そのまま日本に帰るわけにはいかず、漢南国際研修院でようすを見ることにしました。
一方、韓国の先生方は真の父母様を訪ねて、「あんなに嫌がっているのですから、嫌がっている者を無理やり組んでも、壊れてしまったら意味がないのではないでしょうか」と説得を試みました。
それでもお父様は絶対に譲られません。交叉祝福への強い決意と覚悟をお示しになったのです。
「たとえ壊れたとしても、半分残ったら勝利だ」
「今、韓国と日本を交叉して組まなければ、韓国も日本も行く道がなくなってしまう。統一国の道も開かれなくなる。だから何としても、この交叉祝福をしなければなりません」
ここに至って、韓国の先生方が韓国の候補者たちを説得し始めます。
そして、日本人との交叉祝福を決意した人が1人、2人と現れ、続々と漢南国際研修院にやってきました。
その翌日からマッチングが始まりました。場所は同研修院の地下の部屋です。
真のお父様は椅子に座られ、私は日本人候補者の写真を持って後方にいました。韓国の食口たちは座って待っています。
お父様のお声で韓国のメンバーが1人、前に出て行くと、「この人がいいよ」と、お父様がその人に合う写真を渡されます。
写真を頂いた人が挨拶して引き下がると、次の人という感じで、お父様がマッチングしていかれました。
こうして約2日間で2500組余りの韓日・日韓祝福が決まりました。お父様はとても満足そうでいらっしゃいました。
それから日本人同士の写真マッチングが始まりました。
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