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日本統一運動史 23
日本に真の御父母様を迎える準備時代⑦
姜淳愛宣教師の来日

 『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』を再配信します。
 創立40周年の際に発刊されたこの書籍は、日本における文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻の貴重な歴史的足跡と、多岐にわたる統一運動の歴史をまとめた一冊です。
 今、改めて読んでおきたい、日本の統一運動の歴史を振り返る連載です。

歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)

第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代

三、草創期を築いた人々の歩み

(2)草創期初期の伝道と入教者の証し

5. 姜淳愛宣教師の来日(1960.6)
◇姜淳愛(カンスネ)さんの証し
 「1960年5月29日の朝5時、家を出発し、先生に御挨拶に行くと、先生は『心配せず天に任せて行くように。遠からず自由に往来できる日が来るから、行ったら家族から伝道し、4ヵ所にまず開拓教会を立て、崔奉春宣教師をも、よく助けるように』と言われました。私が日本に行けるのは、親戚と長男が日本にいるためでした。

 釜山で一週間ほど待ち、午後5時頃、小さな漁船で日本に向けて出発しました。人員は53名でしたが、『魚の倉庫に皆入れ』と言われました。しかし私は入ることができずに、甲板の上に黒い風呂敷を頭にかぶり、腹ばいになりました。明け方になると、漁船が一隻近づいて来て、おにぎり二かごを渡し、船は私たちを島に降ろして、『明日の晩また来るから待っていて下さい』と言い残して行ってしまいました。その夜は、山の上に登ってヤコブのように石を枕にして寝ました。その次の日は一日飢えながら、夜が来るのを待ちました。9時頃になって海岸に降りて行くと、船の来る音が聞こえたので、ホッとして駆けつけると、日本の警備艇でした。刑事が降りて来て、私たちを見て驚いた様子でした。私たちは警察署に連れて行かれ、尋問を受け、留置所で裁判を受け、刑務所に移されました。

 二日目に息子が面会に来ました。息子は学生であるため、二日後に東京に行って手続きをしておき、私に観光させたのち自費で帰国するようにするという入国管理上の書類を作り、弁護士を通して私は3年の執行猶予を受け、釈放されるようになりました。その間、手錠をかけられるたびに先生の路程を思い、かえって感謝したし、栄光に思いました。

 東京に着くと、アパートを借りて崔奉春宣教師に仕え、女性の食口2名と共に生活しました。食口は日ごとに増えていきました。崔奉春宣教師はこれまで原理が韓国生まれであることを打ち明けずにいたのですが、ある機会に分け隔てなく話すと、『真理はどこから来てもよい。生命を懸けてやっていく』と、食口たちの心が一つになったので百倍もの力を得ることができました。そして在留期間が延長されず、帰国するようになりました。」(『ファミリー』1983年5月号)

 姜淳愛さんは1983年9月13日、米国で逝去され、9月17日に真の御父様によって「忠信奉天」の揮毫が贈られました。

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 次回(3月12日)は、「日本に真の御父母様を迎える準備時代⑧」をお届けします。


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