夫婦愛を育む 152
もう一度会えたなら

ナビゲーター:橘 幸世

 人は、生涯を通して良くも悪くも親との関係にこれほど影響を受けるものか、と驚くことがあります。
 そこに絡むのはやはり愛。人は満たされるまで愛を求め続けるのかもしれません。

 往々にして上の子は遠慮がちで、下の子は甘え上手です。上の子は愛を我慢しつつも、親の事情が分かるので、親の期待に沿ったような道を選ぶことが多いように見ていて感じます。愛を受けることを無意識に願っているのかもしれません。

 ミッチ・アルボムの『もう一日』は、人生に敗れた中年男性のそんな世界を描いていました(限りなく実話に思われます)。

 小学生の時に父親が家を出て行き、それまでパパっ子だった主人公は、ママっ子になります。が、内心は父が帰ってくることを夢見続け、父が教えてくれた野球を続けます。

 大学野球で活躍する彼の前に、10年近く音沙汰のなかった父が突然姿を現します。野球で活躍する息子にだけ関心を寄せる父は、己の夢を息子にかぶせて見ているに過ぎません。

 自分自身に関心があるわけではない、と主人公は分かっていながらも、父と結び付ける唯一の野球に生きようとします。
 一度はメジャー・リーグでプレーしますが、けがに泣き、やがて野球を諦めます。
 父は会いに来なくなりました。

 その後の仕事はうまくいかず、酒に逃げる彼に妻は愛想をつかして離婚。追い打ちをかけたのが母親の死でした。

 どんな時も無条件に愛し支え続けてくれた存在を失い、最後のつっかえ棒が外れたかのように、彼は益々堕(お)ちていきます。

 けれど、彼を堕としたのはそれだけではありません。
 母の誕生日の祝いの最中、父親が野球のことで彼を呼び出します。気は進まないものの断れず、母にうそをついて出掛けます。
 その夜、母は突然倒れ帰らぬ人になりました。取り返しのつかない親不孝をしたという自責の念が彼を苦しめます。

 客観的に見れば、家を出てから何一つしてくれなかった父親です。自分は裕福に暮らしながら、別れた子供たちを経済的に支援することもありませんでした。野球をやめた息子が仕事に困っていても手を差し伸べませんでした。

 そんな父親に引っ張られるものなのか…?
 感情は理性では測りがたいです。本音を言える相手もなく、長い間孤独だった彼の場合はなおのことかもしれません。
 やがて、娘の結婚式にすら呼ばれないことに絶望し、彼は自分の人生を終わらせようとします。

 その先の展開はここでは控えますが、神様は不思議な方法で彼を自責の念から解放し、やり直すチャンスを与えます。
 その際のメッセージは、「自分を許しなさい」。

 大きな愛に触れてメッセージを受け止めた彼は、娘とも和解して人生をやり直すことができました。

 「自分を許す」。本欄でこれまでにも何度か取り上げたテーマですが、もしかして人は皆「許されたい」のかもしれません。


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