習慣化する
訓読会を行う時間として、朝が望ましいのはもちろんです。一日をみ言訓読から出発できるのは、とても素晴らしいことです。しかし「朝は忙しくて…」という方もいらっしゃるでしょう。もし、朝にできなければ、夜にでも訓読をするのです。
「(訓読会は)一日に、朝だけしなければなりませんか、昼も晩もすべてしなければなりませんか。晩にまた御飯を食べる時間があれば、四度しなければなりません。朝起きてして、昼食の時に御飯を食べてしなさいというのです。夕御飯を食べてして、寝る前にもう一度しなさいというのです。そのようにすれば、霊的な生命が成長します。そのようにしなければ、真っ暗で、雨の降る日のようであり、霧がかかったように重苦しいのです。祈祷する時間よりも、訓読会の時間をより一層重要視しなければなりません。なぜでしょうか。これは完成するということです。真の御父母様が完成させる時間だというのです」(『文鮮明先生の教育哲学』336-337ページ)
真の父母様は、3度のご飯を食べるように訓読し、朝に昼に夜に訓読する生活習慣をつけることを願われています。
霊人も同参、共に成長する
ある婦人は、訓読会のとき、夫婦合わせて4系列の先祖に対し、声を掛けているといいます。「〇〇の血統の方々はここにお並びください。□□家の方々はその隣の列に…」と、具体的に呼び掛け、一緒に訓読を行うそうです。
ある日、先祖に示した場所をざっざっざっと歩いているたくさんの足音を聞いて、彼女は「先祖が整列しているんだ」と確信したのです。
霊人であれ、地上人であれ、人間の願いは、真の愛を完成し、真の夫婦愛を完成していくことです。しかし、霊人は真の父母様を戴いた地上を通してしか、愛を完成させることはできないのです。
み言は霊的糧です。地上の私たちの訓読の場に同参し、共に生活しながら、霊界人は喜びを感じ、復活し、完成できるようになっています。そして、地上の私たちに協助するようになっていきます。霊界と肉界が一つとなって、真の父母様に侍る訓読会をしていきましょう。