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2018年03月15日

「祝福家庭」87号(2017年冬季号)読みどころ紹介⑥
「信仰生活講座」(前田千代子先生)(第10回)最終回
「実践の意義」

 

 

信仰基台を確立する

私たちは信仰基台の確立、つまり生きた神様に出会い、神様を愛することが大切です。どうすれば生きた神様に出会えるのでしょうか。

①動機

 絶えず「動機」を確認しましょう。

 自分の思い、行動がどこから来ているのか、つまり動機の中心が、神様なのか自分なのかを明確にすべきです。そして、自己中心(サタン側)から神側へと動機を転換し、神様が願い求めていることを実践できる私になりましょう。

②目的観

 何事も「目的観」を明確にしましょう。

 例えば、スポーツが苦手なのに、スポーツ大会に出なければならないとします。嫌々ながら参加しますか、それとも何か目標を決めて挑戦しますか。その結果、前者は何もないか、あっても不平不満くらいしか残らないでしょう。しかし後者の場合、それは自分のものになります。

 スポーツに限らず信仰生活においても、神様を知ろうと意識し、努力もしなければ、知ることもできません。何も成長しないというのです。一方、神様を知るために全身全霊でぶつかったならば、痛みがあったとしても投入した以上のものが返ってきます。

③祈祷

 絶えず祈りましょう。

 「祈り」は、神様を中心とした生活をするうえで、目的を明確にし、自身を正していくために欠かすことができません。祈りとは、神様に向かって説教したり、あるいは訴えたり、願い事をしたりすることではありません。祈りの時間は、神様の前に心を開き、そのみ意に耳を傾け、神様と通じることのできる時間です。

④み言

 「み言」(「原理」など)を正しく理解する最も良い方法は、訓読です。

 堕落した環境圏の中に生きてこなければならなかった私たちは、残念なことに、ものの考え方も見詰め方も、全てがサタンを中心としたものになってしまっています。ですから、み言を通して神様を中心とした考え方、見詰め方、生き方に正していく必要があるのです。

 み言は真の父母様が下さいました。真の父母様は私たちの究極のアベルであり、永遠の導き手でいらっしゃいます。真の父母様に導かれながら完成期を歩み、地上・天上天国を成し遂げていくようになっていますが、今、私たちは自由に真の父母様にお目に掛かって教えを請うことはできません。

 しかし、父母様と直接お会いできる道が、実はあるのです。それがみ言の訓読です。み言訓読の時間は、父母様がその場に来られ、み言を下さる時間です。私たちは訓読しながら父母様を感じることができるようになっています。それが父母様と共にあるということです。そのような心情で訓読をするならば、いつでも父母様にお会いすることができます。

 

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