宗教時代における「信仰生活」と、家庭時代における「生活信仰」との違いについて、私たちに求められる信仰姿勢という観点から具体的に見てみましょう。
前者に問われるのは、まず「信仰と感謝」です。信仰によって義なる生活をすることです。アダムとエバが神様のみ言(戒め)を不信して堕落したので、信じ、感謝することを通して復帰の道を行くようになりました。
アダムとエバの失敗を蕩減するため、私たちには試練が与えられます。信じて精誠を尽くしてきたのにもかかわらず、途中で不信したり感謝できない思いにとらわれたりすることがあるのです。その試練に負けてはいけません。
試練が与えられる時は、主に三つあります。
第一は、「困難・苦難に直面した時」です。
そのような時は、悲観したり落胆したり、あきらめの気持ちが湧くものです。環境に対して不平や不満を言いたくなるかもしれません。そういう時こそ、「甘受する心」をもって天の導きを信じていきましょう。
第二は、「成功・恩恵がもたらされた時」です。
そのような時は、傲慢になったり有頂天になったりしがちです。そこに生じた心の隙に、サタンが入りやすいのです。
そういう時こそ、「謙虚さ・向上心」が必要になります。よく悔い改めて感謝し、さらに高い目標に向かって前進しましょう。
第三は、「精誠・努力が実らない時」です。
精誠の限りを尽くしてみ旨を歩んだとしても、必ず良い結果が現れるとは限りません。しかし熱心に歩めば歩むほど、結果を期待したり、見返りを要求したりするようになるのです。
うまくいかないことに対して裁きや怒りの思いが生じることもあります。そういう時こそ、「無私・不変の心」が問われます。み旨に向かう姿勢を変えることなく、さらに精誠を捧げていきましょう。(「解説」より)
『祝福家庭』85号(2017年夏季号) 40~64ページより