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2019年04月12日

『ムーンワールド』2019年4月号 読みどころ紹介②
【新連載】孝情を育む①
家庭教育部長 蝶野知徳

神様から教育を出発できる

 愛の主人は神様であり、親子の関係を構想し、創造されたのも神様です。当然、「教育」という概念も神様から始まったものです。ですから、私たち父母が自分の思いで子女の教育を考えるのではなく、愛を発明された、親子の関係を考えられた、その神様から「教育」を考えるべきです。
 
 実体で子女の成長に責任を持っているのは私たち父母です。見える神様の役割を果たしてゆく立場ですから、私たちには神様が絶対に必要です。神様から受けた愛の実感の中でこそ、子女を本当に愛し、教育を出発することができるのです。


 子女が本来受けるべき愛の基準を考えたとき、私たち父母は、常に神様に対しても子女に対しても、愛の責任を負った立場です。どんなに子女に尽くしているつもりでも、犠牲や苦労を重ねたとしても、どのように美が返ってきたようであっても、父母は常に愛の負債を負っています。それは父母である私の愛が足りないという意味以上に、神様の愛が圧倒的であるからです。その神様の愛を背景に子女を愛さなければならないのです。

一般の子女教育には神様がない

 愛は、限りなく投入しても不足だと感じる性質を持っています。世俗的な親の愛でさえそうであるのに、まして神様の子女を育てようというときに、どれほど深刻な立場に自分を立てたかということをいつも考えます。子女を見つめる時、接する時、私自身がそれを神様と向かいあう時間として、どれほど長く感じられるかということです。子女に対しながらも実際は神様と向き合っているわけです。子育ては子女だけを扱うということは絶対にありえないことです。それがこの世の子育てとまったく異なるところです。

子女教育と私の創造

 子女に関わるには中心が必要です。関わり方や方法論に中心がなければその場凌ぎの対応に終始することになります。多くの父母は、起こった問題に対して方法論だけを探し続けます。方法論から中心を探し出すようにすればいいのですが、対処の仕方だけを集めてみても、横に並べただけで中心がありません。出来事や環境に主管されている状態は、私自身が創造されることとは関係がありません。父母の成長がない過程で、子女は愛を受けることはできません。私自身の成長や再創造と関係のない子女教育はありえないということになります。

 ですが、そういう中でも神様は常にいらっしゃいますので、多くの失敗を通して、父母を教育してくださることも多いのです。過りがあっても、ある結果や現象を見せて、痛感させ育ててくださるのです。そのような「教育の神様」にいつも感謝するのです。

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