(『祝福家庭』69号)
【第3祝福】「主管性完成」

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 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第3祝福】
「伝道」に関するみ言(1)

 伝道は第二の私をつくることである。母が、子供を生んで育てるほどの誠を尽くせば問題ないことである。
(『祝福家庭と理想天国1』「み旨の道」伝道1432)


 伝道の効果は霊的四〇パーセント、原理三〇パーセント、実践三〇パーセントとして表れる
(同 1440)


 目で多く見てあげ、口で多く語ってあげ、耳で多く聞いてあげ、心情で大いに心配してあげ、その人のために多くをしてあげることが人を伝道する秘訣である。
(同 1446)


 問題は「私」である。地方へ伝道に行ったときも、私は「乞食(こじき)」として来たのか、「見物人」として来たのか、「主人」として来たのかが問題である。伝道に行くのは、世話になるために行くのではなく、世話をするために行くのであるということを明確に知りなさい。
(同 1447)


 私はどれほど人を愛するために、人を救うために、涙したことがあるか。真なる犠牲なくしては、人を真に生かすことはできない。
(同 1461)


 伝道するときには、その人の話を全部聞いてあげて、その人の事情を全部受け入れたあとに自分の事情を知らせなければならない。
(同 1463)


 特に親戚と親友を伝道しなさい。この地上で自分の親戚と親友を伝道しなければ、あの世に行って彼らの讒訴(ざんそ)を免れることはできない。
(同 1479)


 夜遅くても、帰るのか、と思って心配するようになってこそ伝道できる。行ってしまえばいいと思えばできない。何でも与えたいし、食べさせたいようになれば発展する。そして誰よりも引っ張ってあげ、抱いてあげれば導かれる。夜、寝ずに祈れば、夜寝ずに訪ねてくるようになっている。
(同 1478)


 伝道に行かせたのは蕩減させるための天の恵みである。善い祖先の後孫はサタンもその道を妨げることができない。妨げればサタンが蕩減を受ける。そのために助けてくれるのである。
(同 1484)