(『祝福家庭』74号)
【第2祝福】「家庭完成」

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 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第2祝福】
「幸せな家庭」に関するみ言(3)

 アダムとエバが堕落せずに完成していれば、祝福の場に参加していたはずです。言い換えれば、アダムとエバは、神様の実体対象として、神様が主体となれば彼らは対象になります。そのような立場で、愛の主体となられる神様から対象的な立場の愛を連結させることのできる土台は、結局、完成することによって形成されます。
 完成とは、結婚のことをいうのであり、結婚とは神様の愛の顕現をいうのです。結婚がなければ、人類世界に愛が始まりません。その愛の主人は、人間ではなく神様です。その神様の愛が人間の中に現れるようになるとき、真の愛になります。
 また、人間の中にその天的な真の愛が形成されるようになるとき、それが神様の誇りとなり、喜びとなるのです。神様の愛として感じることができるのです。
(天一国経典『天聖経』第5篇・第2章・第2節・19)


 「家和万事成」です。「家和万事成」になろうとすれば、祖父母の関係が理想的でなければならず、夫婦の関係が理想的でなければならず、姉妹関係と兄弟関係が理想的でなければなりません。
 だからといって、祖父母が自分たちだけで喜び、また夫婦だけで喜び、兄弟だけで喜んではいけません。祖母と息子、息子と息子、嫁と息子、縦的に横的に、前後左右ですべて和合してこそ「家和」になるというのです。「和」という字は、「穏やか」を意味します。化学の「化」は本質が変わって一つになることをいいますが、この「和」は本質が存在するのです。
(同 第5篇・第3章・第1節・9)


 何より父母の愛が最初です。その愛を動機として、その愛で円満に育った人ならば、愛がどのようなものかということが分かります。父と母の間にある愛がどのようなものかということを、父母を通して学ぶようになります。父が母を愛し、母が父を愛するその事実は、子女たちには二つとない喜びになります。
(同 第5篇・第3章・第2節・19)