信仰と「哲学」65
関係性の哲学~LIBERTYとFREEDOMについて

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 既に述べたようにLIBERTYは「~からの自由」、FREEDOMは「~への自由」といわれます。
 前者は解放感であり、後者は自在感と表現することができるでしょう。そして後者がより本質的であると言わねばなりません。

 ある「束縛」から解放され、何でも欲し行動してもいいと言われても、何をやったらいいのかが定まらなければ不安となり、不安が自分を束縛します。解放は真の自由ではないということになります。

 さらに、自分の欲求に従って行動した結果、他人との関係が破綻し、孤立してしまったら存在すること自体が困難になります。
 「~からの自由」=LIBERTYは真の自由とは言えないということになるのです。

 真の自由という心に染み入る実感は関係性の中にあります。
 これが「~への自由」=FREEDOMです。それは主体と対象の相対関係の中で、両者が愛と知によって統一体となったところに真の自由はあるということです。
 それ故、愛から自由、平和、統一、喜び(幸福)が生まれるのであり、自由は愛に属するといえるでしょう。

 ある少年が、気難しい父親との関係で、いつも気を使いながら話し行動しなければならない不安な状態にあったとします。父親のプレッシャーを受けて不自由な生活をしているとの思いを持っているのです。
 ところが大学進学や仕事の関係で父親との生活が別になり、そのプレッシャーから解放されることになりました。「~からの自由」の獲得です。

 しかしこの自由は一時的で永続しません。長期の休暇で帰省し、盆暮れの行事で実家に帰った時に再び不安が襲ってくるのです。すなわち、父親との関係における自由、「父親への自由」は獲得されていないのです。

 その自由は、父親の立場に立って、心、思い、精神を尽くしてみることにより、父親を知り父親への尊敬が心に芽生え、父親のために何かをしてあげたいという孝の情=子供としての父親への愛とその行動によって父親と一つになる。その時初めて父親との関係において自由になるのです。それが「父親への自由」です。

 「本心の自由」とは、神、人、万物との関係における自由であり、関係性の原理(神のみ言)にかなう自由の追求と実現欲が満たされる実感なのです。

 以前、台湾のバイオリニスト、レイ・チェン氏の演奏に感動したことを紹介しました。
 2018年1月に東京の紀尾井ホールで開かれたリサイタルでした。奏者とバイオリンが一体となっている状態に感動したのです。

 そこに内在しているのは、奏者が楽譜に従ってバイオリンを自由自在に弾くという要素です。
 奏者、バイオリン、楽譜の間に知と愛が満ちて統一体=四位基台が造成されているのです。その四位基台と私自身に内在する四位基台が共鳴、共感して言葉に表せない感動が溢れてくるのです。

 奏者の自由とは、バイオリンや楽曲との統一感(一体感)です。自由、統一、幸福は切り離すことができません。