2020.12.24 17:00
歴史と世界の中の日本人
第22回 内村鑑三
近代東西の合流地点に立つ偉人
もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
「歴史と世界の中の日本人」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
内村鑑三(1861~1930)は日本屈指の思想家であり、代表的キリスト教指導者である。
日本のキリスト教における中心的存在であったといっていい。
明治時代以降の著作家の中で今日もよく読まれている人物の一人でもある。
代表作は国内のみならず、世界でも読まれている。
神学者のカール・バルトやエミール・ブルンナーは独語訳で『余は如何にして基督信徒となりし乎』を愛読し、シュバイツアーは同書を愛読するにとどまらず、家の客間に内村の肖像を掛けていたと伝えられているほどである。
内村鑑三のキリスト教信仰は、1877年に第二期生として入学した札幌農学校でクラーク博士の残した「イエスを信じる者の誓約」に署名したことに始まった。
同級生には、新渡戸稲造、宮部金吾らがいる。
内村の思想を表すキーワードの一つに「二つのJ」がある。
「J」とは、内村が信仰する「Jesus」すなわちイエス・キリストと「Japan」すなわち日本の二つのことを指す。
内村は、著作『代表的日本人』を英文で著したが、その執筆の動機をこう語っている。
「日本を世界に向かって紹介し、日本人を西洋人に対して弁護するには、いかにしても欧文をもってしなければなりません。私は一生の事業の一つとしてこの事を成し得たことを感謝します。私の貴ぶ者は二つの“J”であります。その一つはJesus(イエス)であり、いま一つはJapan(日本)であります。本書は第二のJに対して私の義務の幾分かを書いたものであります」
多神教から一神教へと転向した内村鑑三であったが、キリスト教国家アメリカ留学中にはさまざまな矛盾にも遭遇し、挫折も覚えている。
内村は西洋キリスト教を超えた真のキリスト者への道を求めていた。
彼は多神教を背景とする日本の徳目と、歴史の潮流であった一神教、イエス・キリストの精神との融合を自らの天職と考えたのかもしれない。
内村の言葉である。
「武士道の台木にキリスト教を接いだもの、それは世界で最善の産物だ。それには日本国だけでなく、全世界を救う力がある」
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次回(12月31日)は、「太平洋の懸け橋となった日本人」をお届けします。