2020.12.12 17:00
夫婦愛を育む 143
「人は人に癒やされる」
ナビゲーター:橘 幸世
今年ほど、人と直接会うことで得られる力の大切さを実感した人は少なくないのではないでしょうか。
春先からの自粛要請で、極力人との接触を控えてきた私たちですが、終わりの見えない闘いに辛抱が難しくなってきているかもしれません。
私も高齢の義母のことを考えて、人一倍注意を払い、友人とのお茶も控え、子供たちが帰省しないこともやむなしと、半年以上頑張りました。
義母も病院と畑以外どこにも行かず誰にも会わずにいましたが、一人暮らしの友人からは、「会いたい」という連絡が何度もきたようです。
無理もありません。誰とも話さない日が続いたら、さぞかし寂しいだろうと想像します。コロナ以前から、買い物に行って会計の際にレジの人と少しでも言葉を交わそうとしているお年寄りを見かけることも珍しくありませんでした。
義母が秋になってたまに2、3人でお茶をするようになったので、私も久しぶりに友人に連絡を取ると、早速ランチのお誘いを受けました。
「じゃあ、広めのお店でお願い」と注文を付けて、近況を交換します。おしゃべりが終わって別れた後、何となく元気な自分がいます。
以降、ぽつりぽつりと友人たちと会っています。先月には、会いたかった人とようやく会う機会を持てました。そしてそこからもらった活力は半端ないものでした。「実体で会うって、こんなに違うのか~!」と、痛感です。
人とのコミュニケーションが減っている分、気持ちがしぼみ、心の感度が鈍くなっていることもあるかもしれません。改めて、「正しく恐れる」とともに「正しく会う工夫」が必要かなと思いました。
実体で会うことへの抵抗の度合いは個人個人違いますので、相手の判断や考え方を尊重して、消極的な態度にも余分な感情を抱かないようにしています。
そんな時に聞いた「人は人に癒やされる」という言葉。人に傷ついて引きこもっている人を、長年にわたって支援している人が発しただけに、重みがありました。
そして、人に癒やされるのは人だけではありません。
先日訓読する中、「愛の注射を打ちましょう」というみ言が心に響きました。
打つ相手は神様です。半年の自粛でもしんどい思いをしている私たちですが、気の遠くなるような長い年月、授受する相手を失っていた神様は、心も体も凍(いて)ついてしまっていました。何本も何本も愛の注射を打って溶かしていかなければいけなかった、と真のお父様(文鮮明先生)は語っておられます。さらに私たち一人一人にも、神様に、周りの人たちに、打つよう促されました。(1978年4月16日「刺激と冒険」参照)
キラキラ輝く青年たちの姿に「力をもらう」と言われる真のお母様(韓鶴子総裁)の姿は記憶に新しいですね。