2020.11.13 12:00
日本統一運動史 7
日本留学時代⑥
日本家庭連合(旧日本統一教会)創立61周年記念として『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』を再配信します。
創立40周年の際に発刊されたこの書籍は、日本における文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻の貴重な歴史的足跡と、多岐にわたる統一運動の歴史をまとめた一冊です。
今、改めて読んでおきたい、日本の統一運動の歴史を振り返る連載です。
歴史編纂委員会・編著
第一章 メシヤとしての準備時代における真の御父様と日本
(1941年から1945年8月15日まで)
二、 日本留学時代(1941.4.1〜1943.10)
(8)自己主管
『天宙主管の前に自己主管』、これは真の御父様の青年時代のモットーでした。
1. 御 言
①「いつも腹が減っていた。なぜそんな事をしたか。お金がないんじゃないよ。腹がふくれたならば、民族が飛んでしまう。神が飛んでしまう。腹が減って食べたければ、それ以上愛せよ、そういう心情であった。だから30歳まで先生は腹が減らない時がなかった。」(1965.10.8)
②「学生だけど、普通の人はわからない。古い服屋に行ってね、安い物を着て、それを見ると光るんだね。学生服。頭には皆いい気になってチックや何かをベッタリつけて、台風が吹いても行ったり来たりして困ると言ってね。先生はそうじゃない。春の日も夏の日もこれはつけたら困る。そうして(真下から)45度以上(上を)見ない。こういう事をやったんだね。」(1965.10.8)
③「先生が若い時において、霊界に通じるすべての体験をもった女の前に立っても、先生は動かされない。天使長圏に立ったような素晴らしい世界にその女はいて、先生を誘惑する。それが、完成されたアダムの立場においてひっかからないんじゃないのです。それを屈伏して勝利の圏を得なければ、男の主管圏は復帰できません。それがわからない皆さんたち。いくら説明してみても絶対わからないような背後関係がいくらでもあるのです。
アダムとして、いつこの道に勝利して主管圏を復帰したか。サタンとエバが一つになって先生に向かってくる。そういう戦闘において屈伏しうるのは、原理をわからなければ絶対にできません。
若い時は髪の毛を乱し、汚い服を着て、頭を下げて歩きました。誘惑が多かったので、それを避けるためだったのです。堕落の原因を知りながら、多くの誘惑にあいました。人間の堕落論にあるように、神の愛を受ければ受けるほど、美しくみえるものです。そんなにハンサムでもないのに。(笑い)
男性諸君に言う、気をつけなければなりません。私がいないとき、掃除をしてくれる女性もいました。お金が必要なとき、お金を置いてくれたりもしました。手紙が置いてあったりもしました。そのため、自分を醜くみせるように努力したのです。」(1975.10.14)
④「学生時代には、たくさんの女性から誘惑を受けました。…部屋に錠を四つもかけて寝たのです。…先生が寝ている布団をどけて裸で入ってきて、しがみつき、『助けて下さい』というのです。…このような女性に対して『私には性機能がありません』と言いながら送り帰しました。…その女性は普通の女性ではありません。美人であり、財閥の娘であり、有名な学校の在学生なのです。」(1998.9.21)
⑤「女性は先生を追いかけたが、先生は女性を追いかけ回したりしなかった。しかし、それは簡単なことだったろうか? もし、そのことに自信がなかったら、天の公的責任を負えない。自分の目にも口にも耳にも、自分の感情にも負けるそのような人に、神様はどうして人類を預けられるか!」(1983.6.12)
⑥「東京を循回する電車があるでしょう。山手線です。先生は高田馬場から渋谷まで通ったので、それに乗ったのです。乗れば、女の子たちが、くっついて歩くのです。その時は、先生はこざっぱりした格好はしていないのです。頭はこのようにして、見苦しい姿をして、襟もすみずみが垢じみていて、何年着たのか、ひどいにおいがする服を着ていたのです。そのようにしていても、不思議なのです。女性がみな誘惑してくるのです。
不思議なのは、私が映画館のような所に行ったときのことです。においがする制服を脱いで、きれいに着替えています。制服はにおいがするでしょう。髪の毛は垂らして、口はぎゅっと閉じて色気もないのに、二十代、三十代の女たちが横に座れば、我知らずに先生の手を握ります。『なんですか。あなたの手が私の手を握りませんでしたか!』と言えば、『そうですか。あっ!』と言って、すぐに手を引きます。我知らず、そうするのです。
若い時には、先生が一度でも目配せをしてあげれば、女性たちはみな好感をもってついてきたのです。どこにでも、立ち食いの寿司屋に行っても、女性が隠れているのです。そして『あなたが来るのを待っていました。あなたが好きで、どうしようもありません』と言うのです。それで『何が好きだ、この女め!』と言ったのです。そのようなことが多くありました。そのようなことを話し始めれば、きりがありません。
先生のために血書を書いた女もいます。有名な財閥の一人娘です。そして学校に行くと、黄海道の一番大金持ちの娘がいて、毎月テーブルの引き出しの中に、私がいない時に、お金を入れた封筒を持ってきて、積んでいくのです。
世の中の男性ならば、『しめた、福のひさごが落ちてきた』と言うでしょうが、使うものではありません。1か月、2か月、3か月と積んでおくのです。それがそのまま積まれていくのです。それを見ても回収しなければ、6か月後に私が呼んで座らせるのです。そして、真顔で訓戒してあげるのです。母親と父親の立場で、『民族の運命がこのような立場にあるのに、あなたは女性として、このような行動をすることができるのか。愛国の心情をすべて捧げても、この国が蘇生することのできない悲惨な運命の道に立っているのに、この日本に来て差別を受け、卑屈な環境を避けることのできないあなた自身が、どうしてそんなことをすることができるのか』と言ったのです。すると、その女性は、『とても忘れることはできない』、『兄のように侍ります』と言うのです。そのような女性を私が婚約までさせてあげようと努力したのですが、卒業する時期になったので、私は卒業して出てきたのです。そのような歴史が多かったのです。
女性たちは、私をたぶらかすために、あらゆることをしました。先生が日本にいた時も、女性たちが裸になって、布団の中にこっそり入ってくることが、何度もあったのです。けれども私は、日本の女性たちの前に罪を犯しませんでした。そのようにして、世界のすべての女を任せてもいい男として、使命を果たすことができるようになるのです。そうした正しい伝統を汚す愚かな人にならないようにしなければなりません。そのような基盤を立てるために、先生がどれほど苦労したのか、皆さんは知りません。
自分の性欲をコントロールしなければなりません。美人たちの間に入っていっても、生殖器が起きてはなりません。コントロールできる者にならねばなりません。そのような道を行くためにどれほど先生が闘っただろうかと考えてみなさい。言葉だけではありません。その道を行ったのです。そのような道が統一教会の根になった、ということを知らなければなりません。善なる父にならなければならないでしょう。私は、息子、娘の前でも、誰の前でも恥ずかしくありません。父として、天地の前に堂々とし、お母様の前にも堂々としているのです。先生は言行の一致しない人ではありません。言ったとおりにする人なのです。それで、統一教会の根が深いということを知って、その根に皆さんが接ぎ木され、育ってこそ、青い園で先生のような木になるのです。」(『真の御父母様の生涯路程』①、P.221〜223)
---
次回(11月20日)は「日本留学時代⑦」をお届けします。