2020.11.05 17:00
歴史と世界の中の日本人
第15回 ジョン万次郎
太平洋を超えた日本人
もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
「歴史と世界の中の日本人」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
日本人として初めて米国本土に足を踏み入れた男、ジョン万次郎(1827~1898)の生涯を描いた絵本や児童書が米国で相次いで出版されている。
児童文学作家マーギー・プロイスさんが書いた作品『HEART OF SAMURAI(邦題 :ジョン万次郎~海を渡ったサムライ魂)』は、2011年にニューベリー賞オナーを受賞したことがきっかけとなって、全米の多くの小中学校で教材として採用され、今ではアメリカの子供たちの間で広く読まれるようになった。
ジョン万次郎は、幕末から明治にかけて通訳者、教育者として活躍し、日本の開国と近代化に貢献した人物として知られる。
万次郎の生涯は波乱に満ちていた。
土佐の貧しい漁師の次男として生まれ、14歳の時に仲間と共に漁に出て遭難。数日間漂流した後、太平洋に浮かぶ無人島に漂着し、過酷な無人島生活を送った。
漂着から143日後、万次郎らは米国の捕鯨船によって助けられたが、万次郎を除く4人はハワイに降ろされ、万次郎だけが米国に渡ることになる。
数奇な運命に導かれるように米国で暮らすことになった万次郎は、首席になるほど熱心に勉学に励んだ。
1852年、万次郎はハワイの漂流仲間たちと共に帰国。万次郎は24歳になっていた。
万次郎の英語と造船の知識に注目した薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)は、優秀な家臣を選抜して万次郎から航海術や船舶知識を吸収させ、その数年後、薩摩藩は日本初の国産蒸気船の製造に成功する。
間接的だが坂本龍馬も万次郎の影響を受けていたことはよく知られており、三菱の創設者・岩崎弥太郎は土佐の藩校における万次郎の教え子の一人である。
1860年、万次郎は勝海舟や福沢諭吉らと共に咸臨丸で再び米国に渡ったが、その時、万次郎は福沢諭吉にウェブスター辞典を購入するよう勧めている。後の福沢諭吉の名著誕生の背景にその辞書が大いに役立ったことは間違いない。
一人の少年の、遭難から始まり異文化を乗り越えていく冒険物語は、近代日本の牽引(けんいん)力となったばかりでなく、今日、時を超えて米国の少年少女たちの心を捉えている。
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次回(11月12日)は、「人類のために生き、人類のために逝った日本人」をお届けします。