愛の知恵袋 136
アフガンの光─中村 哲(下)

(APTF『真の家庭』257号[2020年3月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

マルワリード用水路の建設に挑む

 中村はアフガンの農業再建のために灌漑(かんがい)用井戸を掘ったが、それでは限界があった。「やはり、大きな川から取水して灌漑用水路を建設するしかない」と決意した。「緑の大地計画」である。

 2003319日、地方政府の要人、郡の長老達を前に、「クナール川から取水して、ジャリババから13㎞の用水路を建設し、シェイワ郡の荒れ地を農地として復活させる」と宣言。その用水路を『アーベ・マルワリード(真珠の水)』と名付けることにした。

 農業も土木も経験のない中村は、現地で川の取水口や用水路を見て回ったが、気象異変でどこでも洪水と旱魃(かんばつ)にあえいでいた。新水路には何か工夫が必要だが、全てコンクリートで固める工法では費用がかかり過ぎるし、今後、住民が自分達で管理・修復していける工法のほうが良い。

 そこで中村は日本の河川工学の教授や技師に教えを請うと共に、帰国時には暇さえあれば水利施設を見て回った。九州の筑後川、矢部川、菊池川、球磨(くま)川などを踏査し、昔の人々がどうやって河川から取水し、水路をつくり、新しい農地を造成したのかを徹底して調べた。最も参考になったのが、筑後川の山田堰の取水口の工法であった。山田堰とは、江戸時代に朝倉の庄屋・古賀百工(ひゃっこう)が筑後平野を農地化するために一生涯をかけて完成させた取水口である。

日本人誘拐殺害事件を乗り越えて

 工事は試行錯誤と苦難の連続であったが、水路壁の蛇籠(じゃかご)工法、川の上水(うわみず)をとる堰板(せきいた)など日本古来の智慧も取り入れながら、100人の職員と400人を超える現地作業員が懸命の作業を重ねた。20074月、遂に、マルワリード用水路の第1期工事13㎞が開通、1200町歩が農地に蘇った。

 「次はシェイワ郡全体3500町歩の復活だ」と第2期工事計画に着手した時、深刻な事態に直面した。この頃、パキスタンとの国境周辺の治安情勢が悪化し、襲撃や誘拐が頻発していた。2008826日、ダラエヌール渓谷の農業試験場に向かっていた伊藤和也職員が誘拐され、翌日遺体となって発見された。さらに、現地の重機運転手2名も誘拐殺害された。9月、中村は断腸の思いで「日本人即時引き上げ」を命じた。現地職員らが「工事はどうなるのか…」と動揺したが、中村は「自分がここに残り、用水路建設は続ける!」という決意を伝えた。

死の谷―ガンベリ沙漠を緑の大地へ

 ガンベリ沙漠はアフガン東部にある長さ20㎞、幅4㎞の不毛の荒野である。クナール川から水を引いて、この沙漠を緑の農地にするのが中村の目標だった。

 幸いなことに作業員達は、第1期工事の経験で熟練工になっていた。先頭の測量隊が掘削機を誘導、次の隊が用水路床面と側面道路を造成、第3隊が蛇籠で水路壁をつくる、第4隊が蛇籠の後ろに柳を植えて柳枝工(りゅうしこう)を施す…という具合に分業しながら手際よく進めていった。

 最も難工事で危険も伴うクナール川取水口の堰上げと護岸工事は、最後まで中村が担当した。彼は汗と砂にまみれて共に働き、自ら重機も操作して手本を示しながら工事を進めた。激しい砂嵐、熱中症で倒れる者の続出、洪水、水死、突発事故など過酷な自然との闘い。更には、現地の複雑な勢力争い、妨害、誘拐、陰謀、裏切りなど…人的試練も数知れずあった。

 もとゲリラ部隊長だったというある現場監督は、「ジハードの戦場でも、これほど壮烈な光景を見なかった」と漏らした。試練のたびに中村を支えたのは、彼を敬慕する現地職員だった。

 20102月、遂に用水路完成を宣言。現場は熱狂的な喜びに包まれ、屈強な男達が泣いた。総延長24.8㎞、分水路16.7㎞、送水量140万トン、灌漑面積3120ヘクタール(町歩)、貯水池12、水道橋5、サイフォン12、橋梁26、取水門1、分水門33、防風林20万本…。総工費14億円は全て日本のペシャワール会に寄せられた善意の会費と募金による。

 その後も周辺地域に灌漑面積を拡大し、今では16500ヘクタール、65万人が暮らしている。村では人々が生き生きと畑を耕し、米や麦、野菜や果物を収穫し、家畜が草を食はみ、防砂林の緑陰では女と子供たちの笑い声が聞こえる。アフガンの一隅に平和な暮らしが戻ったのだ。

 これから…という時、非情の凶弾が中村哲の命を奪い去った。今の私には形容する言葉が見つからない。ただ、涙がほほをつたう。遺体がアフガンを出るとき、自ら先頭に立って棺を担いだ大統領の姿にせめてもの慰めを得た。おお、天よ、彼の魂を強く熱く抱きしめてください!

参考文献:『天、共に在り─アフガニスタン三十年の闘い』中村哲著・NHK出版

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