信仰と「哲学」54
関係性の哲学~文鮮明先生「自叙伝」に描かれた一つの世界

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 根源的な統一力である万有原力に満ちた世界について、文鮮明先生は自身の自叙伝『平和を愛する世界人として』の中で、美しい言葉を用いて表現しています。

 「森の中にいれば心が澄んできます。…そこで、心を空っぽにして、自然を全身で受け入れれば、自然と私は別々のものではなくなります。自然が私の中に入ってきて、私と完全に一つになるのです。自然と私の境界がなくなる瞬間、奧妙な喜びに包まれます。自然が私になり、私が自然になるのです。
 私はそのような経験を生涯大事にしまって生きてきました。今も目を閉じれば、いつでも自然と一つになる状態が訪れます。ある人は無我の状態だとも言いますが、私を完全に開放したところに自然が入ってきて留まるのですから、事実は無我を超えた状態です。その状態で、自然が話しかける音に耳を傾けるのです。松の木が出すと音、草むらの虫が発する音……。そうやって私たちは友達になります」(光言社文庫版 文鮮明先生自叙伝『平和を愛する世界人として』54~55ページ)

▲文鮮明先生

 「『虫たちと一体どんな話をするんだ!』と疑うこともできますが、ちっぽけな砂粒一つにも世の中の道理が入っており、空気中に浮かぶ埃(ほこり)一つにも広大無辺な宇宙の調和が入っています。私たちの周りに存在するすべてのものは、想像もできないほどの複合的な力が結びついて生まれているのです。また、その力は密接に連関して相互につながっています。大宇宙のあらゆる存在物は、一つとして神の心情の外で生まれたものはありません。木の葉一枚揺れることにも宇宙の息遣いが宿っています。
 私は幼い頃から山や野原を飛び回って、自然の音と交感する貴重な能力を与えられました」(同、55ページ)

 「一つとして神の心情の外で生まれたものはありません」との表現は、心情という言葉で万有原力の内的本質を表しているとみることができます。

 さらに続きます。

 「自然はあらゆる要素が一つのハーモニーをなして、偉大で美しい音を作り出します。誰一人として排除したり無視したりせず、どんな人でも受け入れて調和をもたらします。自然は、私が困難にぶつかるたびに私を慰めてくれ、絶望して倒れるたびに私を奮い立たせました」(同、55~56ページ)

 「自然との交感を楽しめる人であってこそ、正しい人格が身に付くと言えます。道端に咲いたタンポポ一本が天下の黄金よりも貴いのです。…自然も人も愛せない人は、神を愛することはできません。神が創造された万物は神ご自身を表す象徴的な存在であり、人は神に似た実体的存在です。万物を愛することのできる人だけが神を愛することができるのです」(同、56ページ)

 全宇宙(霊界も含む)は神の心情圏内にあり、「統一力」としての万有原力に満ちているのです。