2020.07.18 12:00
『平和の母』に見る10大奇跡 7
第7奇跡~文鮮明先生の聖和と中断なき前進
浅川 勇男
「平和の母」シリーズ第1弾。自叙伝書写の第一人者、浅川勇男氏による「『平和の母』に見る10大奇跡」をお届けします。
サタンは有史以来、人類を不幸に落としめ、完全に支配してきましたが、最初に到来した危機は神の独り子であるイエス・キリストの降臨でした。しかしサタンは弟子の不信につけ込んでイエスを十字架で殺害し、人類の完全救済の道を閉ざしたのです。
以来2000年、内乱と戦争によって人類を翻弄(ほんろう)し続けてきました。しかし神の独り子、文鮮明先生と、神の独り娘、韓鶴子夫人の誕生と聖婚により、人類の祝福結婚の道が開かれ、サタンの築き上げた基盤は崩壊の危機にひんしているのです。
共産主義国家ソ連は解体し、東西ドイツも統一され、残るサタンの牙城は北朝鮮と中国だけとなりました。
この時期、サタンにとって最高の望みは、最大の危険人物、文鮮明先生が他界することによって神の世界摂理が中断し、神の基盤が弱体化することでした。しかし文先生は、サタンの意図を見抜いていました。
1990年3月、ソ連のゴルバチョフ大統領との会談を前にして、文鮮明先生は自身に何かあった場合に備えて、韓鶴子夫人を「第2教主」とする後継者宣言をされました。
さらに北朝鮮の金日成主席との会談を前にした1991年6月には、「顧命性宣誓宣布(国王の遺言)」を行い、韓夫人を後継者として確定したのです。
以来21年間、文鮮明先生夫妻は世界摂理進展のため完全投入されましたが、この期間に韓鶴子夫人は「第2教主」として成熟していかれたのです。
2012年、文鮮明先生は90歳を超えてなお、米国8カ所の巡回をされるという激務の中で倒れます。
一時入院し、退院された8月13日。清平の施設を巡回した後、文先生は祈祷されました。
韓鶴子夫人の回想です。
「少しの間、苦しそうに呼吸をした文総裁は、私の手をぎゅっと握りました。『ありがとう! 頼んだよ!』
息苦しそうにしながらも、『本当にすまない。本当にありがとう』と立て続けに話す文総裁。
私はその手をさらに固く握りしめ、慰労の言葉と眼差しで、安心してもらえる努めました。
『何も心配しないでください』」(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』28~29ページ)
「2012年9月3日、文鮮明総裁は数え93歳を一期として、神様の懐に抱かれました」(同、29ページ)
文鮮明先生の聖和によって世界摂理が中断し、停止することは、サタンの悲願でした。しかしその策謀は、韓鶴子夫人の決断と勇壮によって木っ端みじんに粉砕されたのです。
韓鶴子夫人は「『中断すれば失敗であり、中断せずに前進すれば、勝利に至る』という信念」(同、389ページ)を固くその胸の内にとどめました。そして韓夫人は全世界に向かって堂々と「中断なき前進」を宣言したのです。
「夫の聖体の前で、私は『命が尽きる日までに、この地に天一国を安着させる』と涙で誓いました。この決意を、事あるごとに心に刻んできました」(同、403ページ)
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