2020.07.13 22:00
自叙伝書写 感動体験集
第44回 荒ぶる父が書写から祝福を受けて「花咲かじいさん」に
私が書写に出会ったのは4年前。東日本大震災の直後、被災した義父の安否を尋ねて三陸沿岸から戻って来たばかりの時でした。
故郷の人も町も無惨に砕かれた様を目の当たりにして、粉々になりそうな心を抱え、あぜんとしていた時でしたが、書写をすると、言葉がすーっと心の深い所まで染み渡るのを感じました。
義父の家は全壊。故郷を離れたくないと言って、仮設住宅で頑張ることを選んだ父でしたが、当時89歳で独り暮しでした。私たち夫婦は月に一度仮設住宅に泊まりに行って、一緒に過ごすようにしました。
2012年暮れ。そんな父に、認知症とアルコール中毒の症状が現れました。とてもひとりにはできないと、すぐにわが家に連れてきて同居を始めましたが、その同居生活は本当にすさまじいものとなりました。
激しい怒りをまき散らす以外に何もできなくなってしまった父は、連日あらゆる暴言を浴びせ、暴力を振るうようになりました。
私は恐ろしくて一緒に食事もできなくなり、同じ空気を吸うのがつらくなると、家の外に逃げました。自分の心に嫌悪感が湧くことこそが“地獄”なのだと思いました。主人も父に対する怒りを抑えられなくなっていき、「私たちは何かの事件を起こしてしまうかもしれない」とまで思いました。
父が入院した時には看護師さんたちに嫌な思いをさせてしまい、師長さんは「このままでは家庭が壊れてしまうから」と、父の施設入所を勧めました。その時ふと私は、「荒れ狂う義父に書写を勧めてみよう」と思い立ちました。
不思議なことに、父は書写にはとても関心を示し、集中して筆を持ちました。私も必死で書写をし、心の復興と家庭の平和を心底願いました。
書写には瞑想(めいそう)するひとときがありますが、瞑想しながら父の人生をたどってみると、ぼろぼろ泣けてくるのでした。
本当に大切にされていると思ったことがなく、深く傷ついているのは義父自身だと感じられました。そして、父が人を傷つけること以上に、その罪を責める私の思いが、家庭を内側から壊しているのだ、と分かっていきました。だんだん、父の罪と私の罪は重なっていきました。
私が泣いて謝ると、父は「頭を丸めたい」と言いました。謝れるというのは本当に有り難いことです。この時から、私は父に対して、心からの笑顔で接することができるようになりました。
父も生まれ変わったように、穏やかで意欲的な人になっていきました。家庭書写会では、ご近所の小学生の兄弟と書写をしたり、習っている空手を見せてもらったりすることを心から喜びました。
一緒に犬と散歩し、公園で泥遊びもしました。そのご家族も参加するからと、大きな会場での書写セミナーにも参加し、浅川勇男先生のご講演も聞けるようになっていきました。
情感が戻ってきた父は、亡くなった義母とずっと一緒にいたいと、永遠の結婚である祝福結婚まで受けました。さらには、父と私の変わり様を見て、主人と主人の姉までが祝福結婚を受けてくれました。
驚いたのは、父が孫である娘の祝福結婚を応援してくれたことです。「まあいいんでないか、許してやれや」と父が言うと、「俺は別に反対してないよ」と笑う主人。娘は「奇跡が起きた!」と喜びました。
義父は現在92歳。相変わらず認知症ですが、書写を続けるうちに、心がとても生き生きとしてきました。私が自叙伝を読んであげると、本当にうれしそうにします。
アルコールは要らなくなり、その代わりに父が毎日欲しがるのは、私たち家族の笑顔と、ユーモアと、あったか~い湯タンポです。
東北では、津波が来た所に桜が植えられていますが、まるで大震災そのもののようだった父が、今では、親子三代と親戚に祝福の花を咲かせる「花咲かじいさん」になっています。