2020.06.22 22:00
自叙伝書写 感動体験集
第41回 父の死のショックで悲しみのどん底にいた娘が書写で立ち直る
書写を通して悲しみのどん底にいた家族の心が解放され、今は喜びの生活を送っている友人Sさんの証しです。
Sさんの家族はご主人、高校生の息子さん、中学生の娘さん、ご両親の6人家族でした。スポーツ一家で子供さん2人は駅伝部に所属し、大会の時は家族中で応援する仲の良い家族でした。
しかし去年の2月、ご主人はうつ病が悪化し、とうとう自分で死を選んでしまったのです。
Sさん一家のショックと悲しみは深く、とても見ていられる状態ではありませんでした。特に娘さんの悲しみと恐れは強く、食事も喉を通らず、暗い夜は怖くて眠れない日々が何日も続きました。
精神科の病院で安定剤や睡眠薬を出してもらい、何度もカウンセリングを受けましたが一向に良くなりません。日に日に痩せていくやつれた娘を見ながら、Sさんは娘を抱き締めて泣くしかありませんでした。
そんな時、私に「どうしたらいいと思う?」と、泣きながら電話がありました。私は東日本大震災の時、愛する家族を一度に2人も亡くした友人が、書写によって元気になっていく姿を見ていましたので、Sさんにも早速、書写を紹介しました。
Sさんは愛知県在住と遠かったため、初めは浅川勇男先生のビデオを送って見てもらったところ、「娘がこういう写経みたいなのをやりたかったと言ったんだ。ありがとう。やってみるから」と、その日から2人で書写をやり始めてくれました。
初めは、白い紙に一文字一文字書くごとに自然と涙がこぼれたそうですが、1カ月たった頃には、「お母さん、小鳥が鳴いてるね。マラソンしている時も小鳥が励ましてくれるんだよ」と好きなマラソンの話ができるようになり、3カ月たった頃には笑顔で学校に通えるようになり、1年を過ぎた時には、マラソンの大会に参加して上位に入るくらいに回復しました。
Sさんは「浅川先生が言う、『白い紙に毎日毎日み言(文鮮明先生の教え)を書くことは、川の流れのように、心の傷や悲しみを流してくれる』というのは本当だね」と本当に喜んでいました。
Sさんの毎月の書写の願い事は、「私は何も要りません。ただ、子供が元気でいてくれればそれでいいです」と言い、毎月毎月、書写を丁寧にされています。
息子が災難から守られる
書写を始めて1年6カ月過ぎた9月、奇跡としか思えないことが起こりました。
それまで、息子さんの高校の駅伝部は、毎年夏休みから11月の大会までは、毎週土日に御嶽山(おんたけさん/長野県)で合宿をしていました。息子さんは寮生活をしていたので、Sさんは9月27日土曜日も御嶽山の合宿に行ったと思っていました。
そして11時、御嶽山の大噴火のニュースを聞き、びっくりして息子さんの携帯に電話しました。合宿中は携帯は使えないと分かっていても、何度も何度もかけました。学校にかけても「まだ確認中」ということでした。その時は、巻き込まれたかもしれないと、娘さんと抱き合って泣いては祈り、祈っては泣くという地獄のような心情だったそうです。
10時間後、夜の9時にやっと連絡が取れました。無事だった息子の声を聞き、号泣したそうです。息子さんによれば、その週に限ってなぜか合宿所の予約が取れなかったとのことで、隣の山に合宿していて難を逃れたのでした。「犠牲になってしまったかたもおられるので喜べないけれど、守ってくださった」と心から感謝していました。
Sさんは言います。書写をして本当に良かったと。
「浅川先生が『毎日毎日、祈りながら書写をすることによって、目に見えない宇宙の力が働き、守り、良い方向へ導いてくださる』と言われたのは、本当だったね」と心から感謝し、これからもずっと書写をすると言っています。また「自分の家族のために書写をしながら、祈ってくださる石巻家庭教会(世界平和統一家庭連合)のかたがたにも、心から感謝しています」と言っています。