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『祝福家庭』92号(2019年 春季号)
小山田秀生先生の自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」

777双、1800双の祝福と「血統転換」
〜1800双のマッチングに不休で投入される〜

 1975年2月8日、ソウル(奨忠体育館)で1800双国際合同祝福結婚式が挙行されました。世界20か国から参加し、日本からは811双が参加しました。
 この祝福式に先立ち、真の父母様は、1月20日、1800双のマッチングのために、この年初めて来日されました。21日に東京(世田谷区)の八幡山ボウリング場(当時)に候補者たちを集めてマッチングをしてくださり、22日には韓国に帰国されたのです。
 当時、私は会長代理として真の父母様に侍らせていただきました。このときのようすについてお話しします。
 1800双の祝福のために真のお父様は、来日直前まで韓国でマッチングをされていました。そして、日本でのマッチングのために、20日の最終便の飛行機で羽田空港に到着されたのです。
 そして、いったん渋谷区の旧松濤本部に来られたのですが、夕食もほとんど取られないまま、すぐマッチング会場に向かわれました。
 お父様が天の摂理をなさる時は、食事も眠ることも忘れて投入なさいます。
 このときも真のお父様は、会場で待っている候補者たちに向かって、「祝福の意味」について一時間ほどみ言を語られました。
 そのとき、おっしゃったのです。「君たちに祝福を受ける資格はありません。しかし、真の父母に会ったために、祝福してあげるのです」と。

日本で1800双祝福のマッチングをされる真のお父様。
右端に小山田先生(1975年1月21日、東京)

 マッチングが始まったのは午前零時でした。そして夜を徹して約600組を成立させてくださったのです。
 その後、真の父母様は、旧松濤本部に戻られましたが、そこにもマッチングを待つ候補者たちがいました。真の父母様は、お休みにもならず、さらに百数十組のマッチングをされたのです。
 このマッチングを通して、真の父母様の、子女である私たちのために投入してくださる、正に親としてのお姿を目の当たりにしました。
 お父様は、“球体”であられる神様(天の父母様)に似て、私たちも“球体”となれるよう、いちばん近い相対を探してマッチングしていると語られます。
 もちろん、マッチングを受けたからといって、すぐに“球体”になれるのではありません。2人が一体となるためには、少なくとも2、3年はかかるということです。相対と一体となることで、神様がそこに臨在なさるのです。
 またマッチングの場は、“霊界が100パーセント開かれる”と言われます。私は、マッチングをしていかれるお父様に侍りながら、そのような場面にたくさん接することができました。
 私たちが、組み合わせられた対象者たちに対応する際、その組み合わせを間違えたりすると、すぐさま、お父様は「それは違うよ」と言って正してくださいます。常に完全な“球体”に近い人を合わせてくださるのです。
 こうして真の父母様は、22日午後の便で韓国に向かわれました。
 そのとき、父母様と一緒に帰国される予定の崔昌林(チェ・チャンニㇺ)先生が、韓国への再入国の手続きをしていないことが分かりました。そこで、久保木修己初代会長の指示で、急きょ私が、真の父母様に同行することになったのです。
 ソウルに向かう飛行機で、私は生まれて初めて、お父様の席の隣に座りました。お父様は席に着かれるとすぐに、大きな鼾(いびき)をかいて眠ってしまわれたのです。あたかも“天宙を貫く”ほどの大鼾でした。
 そのお姿に女性の客室乗務員は、「“社長様”はとてもお疲れのようですね」と驚いていました。私は、「そうです。3日間、徹夜が続いていましたので」と答えました。
 しばらくしてお父様は、ご自分の鼾の音に驚かれたように「おおーっ」と言って目を覚まされました。そして、ちょうど配られた機内食を、召し上がったのです。

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