(『祝福家庭』66号)
【第1祝福】「個性完成」

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 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第1祝福】
「完全投入」に関するみ言(1)

 創造は、自分を投入するところから始まります。力を投入してこそ創造が可能です。力を投入せずしては、いかなるものも生じません。完全に投入するところに完全な対象が成立するという原則を考えると、神様は主体として、対象を造るために完全に投入しました。神様自身が、御自身のためではなく、対象のために存在しようと運動を始めたのが創造です。
(『天聖経』「真の神様」)


 創造するとは、力の投入のことを意味します。投入をしたのですが、どれだけ投入したのでしょうか。神様がみ言によって造るときに、「こうなれ、ああなれ」といたずらに創造したかのように考えられています。違います。ここには真の生命を完全に投入し、真の愛を完全に投入し、真の理想を完全に投入しました。私たちも、精誠を尽くさず、血と肉を投入していないものは愛しません。
 それゆえ、創造する前と創造した後では違います。創造する前は自分のことを考えたのですが、創造を始めてからは対象を大事にしました。私が存在するのは私のためではなく、相対のためであり、息子、娘のためである、このようになっています。
(同)


 神様は、万物と人間を創造するためにあらゆる力を投入されました。すべてを投入し、また投入されました。他のものは、投入すればすべて消耗しますが、真の愛だけは、投入すれば投入するほどより栄え、生産するのです。真の愛は、100を投入すれば120が戻ってきます。それゆえ、真の愛を実践する者は、滅びるようでも滅びることなく、永遠に栄えて永生するのです。
(同)