歴史と世界の中の日本人
第33回 塙保己一
ヘレン・ケラーの「人生の目標」となった日本人

(YFWP『NEW YOUTH』191号[2016年5月号]より)

 ヘレン・ケラーをご存じの読者は少なくないだろう。
 視覚と聴覚の重複障害者(盲ろう者)でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くしたアメリカの教育家・社会事業家である。

 では、そのヘレンが「人生の目標」として尊敬していた日本人がいたことをご存じだろうか。

 江戸時代後期の国学者、塙保己一(はなわ・ほきいち/17461821)である。

▲絹本著色塙保己一像(ウィキペディアより)

 ヘレンが昭和十二年に初めて来日した時、塙保己一の学問を継ぐ研究所、温故学会を真っ先に訪問し、保己一の木像に触れて「私は塙先生のことを知ったお陰で障害を克服することができました。心から尊敬する人です」と述べた。

 ヘレンは塙保己一について次のように語っている。
 「私がまだ小さい時、母は塙先生のことを繰り返しこう話してくれました。『ヘレン、日本には幼い時に失明し、しかも点字も何もない時代に、努力して学問を積み、一流の学者になった塙保己一という人がいたのですよ』と。時にはくじけそうになったこともありましたが、この母の励ましによって現在の私があるのです」

 塙保己一は七歳で失明したが、人並み外れた記憶力を持ち、大学者として世間から認められるまでになる。

 保己一は大きな挫折を経験しながらも、自分を支えてくれた師匠の温かさや多くの人々の励ましの大切さに気付かされ、自分に与えられた能力と人生を、自分のためにではなく、世のため人のためにささげることを決心する。

 三十四歳の時、保己一は各地に散らばる貴重な古書を集めて本にすることを志し、七十四歳の時に完成したのが『群書類従』である。

 『群書類従』は、法律、政治、経済、文学、医学など、あらゆるジャンルの貴重な史料が収められた666冊に及ぶ大全集で、今日でも日本の故事を研究するのに欠かせない書物である。

 点字もない、録音する道具もない時代に、保己一は不屈の意志力と熱意で幕府を動かし、和学講談所を創設し、出版事業を成し遂げた。

 塙保己一は、文字どおり、不撓不屈の人であった。

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 次回は、「世界が驚き、称賛する日本の国民性」をお届けします。