コラム・週刊Blessed Life 105
麒麟がくる:明智光秀と斎藤道三と織田信長

新海 一朗(コラムニスト)

 NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」を、楽しんで観ている人も多いことでしょう。

 そもそも、明智光秀(?~1582)の歴史的登場を理解するために、どうしても必要な人物が斎藤道三(14941556)ですが、彼は戦国時代の代名詞のような人物です。その意味は「下剋上」「策士」「波乱万丈」などの特徴を一身に背負っている人物であるということです。

 斎藤道三は、戦国の武将、美濃の戦国大名ですが、まさに下剋上大名の典型です。
 京都から美濃へ移り、油商人を経て、戦国大名にまで成り上がっていきました。権謀術数を用いて、美濃の戦国領主として君臨したのが斎藤道三です。
 息子の義龍へ家督を譲りましたが、下の息子への偏愛から、そりの合わない長子と対立、長良川河畔で、道三、義龍の父子は、決戦に挑み、子の義龍軍に敗れ討ち死にしました。

 斎藤道三は、織田信長を導いた戦国革命児であり、明智光秀の主君でもあります。娘の帰蝶が織田信長の正室になっていることから、斎藤道三と織田信長の関係は姻戚関係であり、深い関係です。娘婿である織田信長は、道三の下剋上的な性格を受け継ぐようにして、天下布武(武力を以て天下を取る)を掲げるのです。

▲左から織田信長、明智光秀、斎藤道三

 斎藤道三の来歴を見ると、父の新左衛門尉は京都妙覚寺の僧侶でした。その父は還俗して美濃へ移り、道三は油売りに従事し、行商などを行います。美濃で弟弟子の日護房に再会し、彼の紹介で土岐氏の老臣長井長弘へ仕えることになります。

 長井長弘は、道三の才能と武技を気に入って、美濃守護の土岐政房の長男、土岐政頼と兄弟(頼芸)に目通りさせました。
 土岐氏では、家督争いが勃発し、土岐政頼が勝って美濃守護の座を得ました。土岐家の実務は長井長弘らが請け負っていましたが、道三は、長井長弘夫妻を殺し、長井家を乗っ取ります。長井家を乗っ取った道三は、本拠を稲葉山城に移動し、守護代が亡くなると、道三がその名跡を継いで、藤氏を名乗ります。

 斎藤道三は、美濃を奪い取ろうと立ち上がるのですが、相手は自身の主君である土岐頼芸で、道三はその大桑城に攻め込み、クーデターは成功します。
 斎藤氏と織田氏の和睦が成立した時点で、道三による美濃の支配が確立しました。しかし、道三はわが子義龍との合戦で命を落とし、義龍も急死したことにより、最終的に美濃は織田信長氏のものとなります。

 明智光秀を出した明智氏は、美濃守護職を務めた土岐氏の傍系に当たります。
 斎藤道三は明智光継の娘を正室に迎えます。この娘は「小見の方」と呼ばれますが、道三との間に「帰蝶」を生み、彼女が信長の正室になるという関係です。
 小見の方は明智光秀のおばさん、従って、光秀と帰蝶はいとこ同士になります。こうして、道三、信長、光秀の三者関係が、全てきれいに姻戚関係としてつながってくるのです。

 道三は主君(土岐頼芸)殺しで美濃の支配者となり、最後は自分の息子との合戦で命を落とすという波乱に富んだ一生ですが、明智光秀は主君の道三が滅ぼされる悲運を負いながらも、いとこの帰蝶(道三の娘)が信長の正室であるということから信長の家臣に取り立てられる幸運をつかみます。しかし、最後は、信長を本能寺で打つという下剋上物語で、「麒麟がくる」は、戦国時代「下剋上」の縮図なのです。