シリーズ聖歌 11
聖歌 第一部 15番「我は供物」

 皆さまのご要望にお応えして、Blessed Lifeからも世界平和統一家庭連合の「聖歌」をご視聴いただけるようになりました。第一部1番から順にご紹介してまいります。

 今回は、聖歌の第一部15番「我は供物」をお届けします。

 1956年、劉孝敏氏によって作詞作曲された聖歌です。

 作者によれば「私たちは踏み台であり祭物だ。どのようになろうとも良い。全ての事を委ねます」という感動の中で作ったそうです。

 食口(統一教会〈現・家庭連合〉の教会員)たちはみ旨を成就しようという一念から出発したけれども、多くの人が祭物となることができず途中で落ちて出て行ってしまいました。
 それで先生(文鮮明先生)も説教中にたびたび泣かれながら、「あなたたちも私と一緒に死を覚悟して行こう」と切々と訴えられたのです。

 この歌はそのような先生の心情に応えて作られた歌であり、み旨の道を行く人の深刻な自覚と非常に切実な決心と誓いが、歌詞全文に溢れ流れています。

 「自分の寂しさが残っていたり、感情で動いたりしていては、供え物になり得ない。いかにみ旨を中心とするか。自分の感情いかんでなく、天の父が備えた祭壇の上に、のぼり得る者とならねば」と、この歌の作者は言いました。

 この歌を深く歌いながら、供え物としての精神をもう一度訪ねて実感し、主の涙をわが涙としたいものです。(参照:『成約聖歌』)

 他の聖歌もYouTubeU-ONE TVチャンネルの再生リスト「聖歌」からご視聴いただけます。