信仰と「哲学」40
関係性の哲学~巨人・ハイデガーの存在論

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 20世紀最大の哲学者といわれるマルティン・ハイデガー(18891976、ドイツ)の思想を説明してみたいと思います。「関係性の哲学」の代表的人物だからです。

 彼は、私たち一人一人が「常にすでに存在する」、その在り方を分析しました。何のための探求であるかといえば、「よく生きる」とはどういうことかを明らかにするためでした。

 西洋の哲学において忘却されていた(哲学的な主題とされなかった)、存在の在り方(関係性)について分析した存在論を提示したのです。

▲ハイデガー(ウィキペディアより)

 仏教の考え方は、すでに述べたように「関係性の哲学」が核心です。
 釈尊は、人間の根源的な苦である「生老病死」と関わる苦(四苦)などからの解放、解脱を解きました。
 12因縁(無明から始まり苦に至る、12の因果関係)を明らかにし、渇愛(むさぼるような愛)が苦をもたらすのであり、その渇愛は無明(無知)によると説いています。
 仏教哲学は、関係性を軸とした哲学なのです。

 ハイデガーは多くの思想家、哲学者に影響を与えました。
 「実存主義はヒューマニズムである」(講演録、1945年)で知られるジャン=ポール・サルトルはその代表格です。

 ハイデガー以前、西洋哲学の主要なテーマは「自分は何者か」、「何を知り得るのか」の探求、追究でした。しかしハイデガーの考えは、その前に(自分は何者か、何を知り得るかを問う前に)、私たちは現実に存在している「現存在」であるというのです。

 私たちの生きる世界は、「道具連関」の世界であるといいます。私たちの日常(「常にすでに存在する」ということ)は、道具との交渉からなっています。
 例えば、私たちは日常的にパソコンを使用します。その多くは文章を書くためです。文章を書くのは雑誌などに掲載するためであり、雑誌に掲載するのは多くの人たちに読んでもらうためです。

 このように、私たちの行為は全て「手段―目的」の連関をなしていて、そのネットワークにはさまざまな道具が配置されています。
 この道具連関こそが、私たちの生き世界であるといのうです。このような世界に「常にすでに存在する」のです。しかし私たちは、その世界の外部にあらかじめ存在し、そのあとで「道具連関」の中に入り込むわけではあません。
 気付いた時にはすでにこの連関の内部にいたのです。それ故に私たちは常に「世界内存在」であるというのです。

 ハイデガーは人間を「現存在」という言葉で表し、また「世界内存在」とも表現しました。人間は元々「置かれた場所」でいかに咲くかという宿命的課題を負っているのです。

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