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スマホで立ち読み Vol.5
『霊界の実相と地上生活』(5)
霊界で見た天国と地獄

 「スマホで立ち読み」コーナー第5弾で取り上げたのは、『李相軒先生が霊界から送ったメッセージ~霊界の実相と地上生活【霊界の様相編】』です。
 今だからこそ、正しく知っておきたい内容です。
 すでに読んだよ、というかたも、まだ読んだことがない、知らなかったというかたも、皆さん立ち読みオーケーです。

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世界平和統一家庭連合

(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)

第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
二 霊界で見た天国と地獄

天国は思いと行動が一つになる所
 天国という名詞がどこから出てきたのか、私は知りませんが、すべてが天国とかエデンとかいう文字を書いています。天国(エデン)とは、思いと行動がまさに一つになる所です。

 例えば「きょう、何かを食べたい」と考えれば、考えると同時に、自分の前に豪華な御馳走(ごちそう)が準備されているのです。また「きょうは誰かと一緒に、どこかに行かなければならない」と考えれば、既にそこに行っているのです。「服を着ないで、人が裸になって歩けばどうか」と思うと、本当に素っ裸になった自分になってしまい、ひとしきり笑いました。

 「目の見えない人と、目の見える人が、共に天国に来たら、見えない人と見える人との差はどうか」と考えたら、おじいさんと子供が私の前に立っていました。子供は盲人で、おじいさんは目のよく見える人でしたが、「天国にも盲人がいますか?」と聞くと、子供が「地上にいる時は盲人だったのですが、天国には盲人という表現もないばかりでなく、見えないものがありません。すべて見ることができます」と答えました。「おじいさんは見えるはずなのに、なぜここに来られたか」と言うと、「目で見ることができるものと、心で見ることができるものがある」と答えながら、「目は見える物体だけ見るが、心で見るものは、その人に今現れないとしても、それはもっと明るく見える」という難しい答えをしました。

 天国には、宝石よりもっと明るい光がいつも周囲にあります。その明るい光のために、お互い困難を覆うことができず、互いが読み取るようになるから、目と心によってすべてが分かるようになる所です。天国は光で表現するなら、輝く金髪、光り輝く恍惚(こうこつ)の金の光とでもいえるかもしれません。いつも心が平和である所です。言葉では表現できなくて、説明することの難しい所が、まさに天国です。

地獄は天国から想像することができない所
 地獄は、おなかが空(す)いて、つらさ、ねたみ、嫉妬、不便なものがあまりにも多い所です。いつもつらいから、けんかしかすることがないのです。すべて不便です。

 例えば、天国は安心して歩く自由がありますが、地獄は自分の思いどおりになるものが一つもない所です。思いどおりにならないから、人のものを奪ってきて、盗み食いします。

 地獄とは、人間の世の中で考えるより、ずっと想像しにくい所です。

相軒(サンホン)よ! それが愛である
 地上でお父様が愛の話を出されると、いつも「凸と凹」に関するみ言(ことば)を語られたので、愛といえば「凸と凹」を考えるようになりましたが、愛というこの言葉が、いかにとてつもないものかということを知りました。

 神様の愛というものは、膨大に広がっています。経験したことを書いてみると、次のようです。

 「相軒よ」と呼ばれるその声に、すべてが溶け出すような愛の感性を抱くのです。それは、どんな凶悪犯も、許すしかない感性を持たせるものです。愛の体臭や香りが、すべてを忘れさせる平安感、温かさ、安堵感(あんどかん)を感じさせます。一言で「愛」という単語自体がふさわしくないのです。もう少し良い、もっと柔らかい言葉がないかという感じを持つようになります。

 歩むとき、言葉を話すとき、服を着るとき、「愛」という言葉自体に納得できず、考えて、また考えて、「愛」より愛をもっと濃く美しく表現する文言がないかと考えると、神様がおっしゃるには、「相軒よ! それが愛だよ」と言われました。

 「愛」という言葉一つだけ完璧に意味が分かるなら、地上には争いも苦難もなくなるはずです。「愛」という言葉は、それを完璧に解釈する者がいません。それが「愛」です。

天国と地獄の概念
 天国とは、愛で一つになったまま、調和しながら暮らしていくから、あらゆる心配や気掛かりがありえない所です。

 地獄とは、愛を忘れたまま、それが何か、分からない世界で暮らしていくから、争いながら、心配、気掛かり、不平、不満に囲まれて、ぐるぐる回っています。

 要約すれば、天国は愛の至聖所であり、地獄は愛に背を向けた所です。易しく言えば、天国は愛しかなく、地獄は愛という言葉が芽も出さない所です。それゆえ、地獄の解放は、愛の芽を出して、愛の実を結んでこそ可能なのです。

(一九九七年六月一日)

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 次回もお楽しみに!


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