2019.11.13 17:00
歴史と世界の中の日本人
第16回 野口英世
人類のために生き、人類のために逝った日本人
1918年、当時、中南米で猛威を振るっていた黄熱病の研究のために、細菌学者、野口英世(1876~1928)はロックフェラー医学研究所の研究班の派遣に自ら望んで参加。
その後、およそ十年、英世は黄熱病の原因究明に挑戦し続けていたが、研究の途中で自身も黄熱病にかかり、51歳、西アフリカの地で死去した。
英世は主に細菌学の研究に従事し、黄熱病や梅毒等の研究を行い、数々の論文を発表した。ノーベル生理学・医学賞の候補にも三度名前が挙がった。
命を懸けて黄熱病と戦った英世の墓には、「人類のために生き、人類のために亡くなった」と刻まれ、その業績がたたえられている。
5年ごとに日本で開催されるアフリカ開発会議(TICAD)には、「野口英世アフリカ賞」の授与式が行われる。第一回授与式は2008年に、第二回は2013年に行われた。
「野口英世アフリカ賞」は、人類の繁栄と世界の平和に貢献することを目的に「アフリカでの感染症等の疾病対策のため、アフリカの医学研究分野または医療活動分野において顕著な功績を遂げた者」に授与される。
2004年、野口英世は科学者として初めて日本の紙幣に採用され、新しい千円札の顔となった。
英世の生涯は子供向けの偉人伝として多数刊行されており、「偉人の代表」とも呼ぶべき存在である。
貧困の家庭に生まれ、幼少の頃から身体的ハンディを背負った人生であったが、野口英世にはいつも母の深い愛が共にあり、周囲の人々の信頼と支えがあった。
そして、何事かを成し遂げる人々が常にそうであったように、英世もまた驚異的な努力の人であった。
ナポレオンが一日三時間しか眠らなかった話は有名だが、英世も「ナポレオンにできたのだから、私も必ずできる」と宣言し、一日三時間しか眠らなかったのだという。
英世の生涯は短いものであったが、人類のために密度の高い人生を生きた日本人であった。
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次回は、「東京オリンピックを実現させた“日本人”」をお届けします。