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心のあり方 17
耳で人を愛する

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第11弾、『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
 なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』より)

第五章 心を尽くして人の話を聞いてあげる

耳で人を愛する

 幸福はどうしたら得られるのでしょうか。愛することによって得られます。夫婦は互いに愛し合えば幸福になれます。親子は愛し合えば幸福になれます。嫁姑(しゅうとめ)も愛し合えば円満になれるのです。

 ところで、愛するというと、一般的には相手に尽くすことを意味しています。例えば、誕生日などにプレゼントするとか、マッサージをしてあげるとか、品物や手足を使って尽くすことです。手足ばかりではなく、言葉でも人を愛せます。愛のある言葉、優しい言葉、励ましの言葉をかけるのも愛することです。笑顔でも人を愛せます。母親のほほえみは、一瞬にして子供を元気づけます。眉毛、目、口、頬が、丸くなって愛を表現します。顔は人を愛するためにあるのです。

 ところで、顔にはもう一つ、人を愛するための大切な器官があります。耳です。正に、耳よりな話です。文鮮明(ムン ソンミョン)先生は、「心を尽くして人の話を聞いてあげる」ことが、愛の実践であると言われます。

 「私たちは真心を込めて聞かなければなりません。それがその人の生命を愛する道であるし、私が負った生命の負債を返す道でもあります。生命を尊く思って、敬い仰ぐことが一番です」(自叙伝150~151ページ)

 ところで、話の聞き方には二つあるようです。一つは、自分のために人の話を聞く場合です。自分のために人の話を聞く、というのはちょっと奇妙な感じですが、実は多くの人がそうしているのです。商品を販売したり団体に勧誘したり、自分のために人の話を聞く場合です。この場合は相手の話を聞くのが目的ではなく、手段となっています。自分の利益のために話を聞くのですから、無益と判断すれば話を打ち切ります。時間がもったいないからです。

 また、自分が愛されるために人の話を聞くこともあります。この場合は、自分にとって耳触りの良い話は聞きますが、気分を害する話なら耳を閉ざします。自分のために聞いているからです。

 文鮮明先生は真(まこと)の愛で多くを語り、多くを聞かれる方です。人の話を、心を尽くして聞いてあげる方なのです。聞いてあげることが愛の実践と思われているようです。

 私たちの不幸は、それができないことによって生じています。自分のために人の話を聞くので、話によっては、不快な気持ちになってしまうのです。また、相手の話を途中で折って、自分の主張を聞かせようとします。人の話を最後まで聞かずに、自分の思い込みや決めつけで相手を裁いてしまうこともあります。これらは自分のために話を聞いている結果なのです。

 もう一つの聞き方は、相手のために話を聞く、聞き方です。では、相手のために話を聞くとは、どのような聞き方なのでしょうか。文鮮明先生の言われる「心を尽くして人の話を聞いてあげる」とは、どのような聞き方なのでしょうか。それには、三つの聞き方があるのです。

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【み言訓読タイム⑤】
*自叙伝「平和を愛する世界人」より

 私は本当に人の話を聞くのが好きです。誰であろうと自分の話をし始めると、時の経(た)つのも忘れて聞くようになります。十時間、二十時間と拒まずに聞きます。話そうとする人の心は緊迫していて、自分を救ってくれる太い綱を探し求めるのです。そうであるならば、私たちは真心を込めて聞かなければなりません。それがその人の生命を愛する道であるし、私が負った生命の負債を返す道でもあります。生命を尊く思って、敬い仰ぐことが一番大切です。嘘(うそ)偽りなく心を尽くして人の話を聞いてあげるように、私自身の真実の心の内も真摯(しんし)に話してあげました。そして、涙を流してお祈りしました。(自叙伝150~151ページ)

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 次回は、「心の門を開いて聞く」をお届けします。


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