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氏族伝道の心理学 25
心の問題と「四大心情圏」

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第9弾、『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。

大知 勇治・著

(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)

第3章 氏族的メシヤ勝利と心の問題解決

心の問題と「四大心情圏」
 氏族的メシヤを行っていく上で、何よりも大切なのは親子関係です。本然の親子関係を回復することが、氏族的メシヤの中心的課題であると言っても過言ではありません。まず、親子関係の回復という観点を考えてみましょう。

 一般の心理学でも、私たちの心の問題の背景に親子関係があることは知られています。

 発達心理学では、アイデンティティーの基礎が親子関係にあるとしています。私たちは、意識的にあるいは無意識的に人生のモデルとして親から多くのことを取り入れます。ですから、親のことが好きであれば自分のことが好きになれるし、親のことを大切にしたいと思えば自分のことを大切にするようになります。逆に、親のことが好きでなければ自分のことを好きになれないし、親をないがしろにしていて自分のことを大切にできるはずがありません。なぜなら、親は私の原因であり、私の結果だからです。

 また、臨床心理学の多くの学派が、親子関係の問題が心の問題や病気の原因となり得ることを指摘しています。先に挙げたアダルト・チルドレンの考え方や精神分析学などを学べばすぐにわかることです。また、不登校や非行など子供たちが引き起こす心の問題の背景に親の養育のあり方があることも周知の事実です。そして、心の問題や心の病を改善し解決していく際には、その背景にある親子関係を改善する、あるいは整理することが重要です。

 では、一般に心理学では、具体的にどのように親子関係を整理し、改善していこうと考えられているのでしょうか。

 子供の問題で保護者が相談に来た時には、教育相談という形で保護者の相談に乗ります。その際には、親の子供への関わり方を変えることにより、現実の親子関係を変化させます。すると子供の問題行動は解決に向かっていきます。私自身、十年以上にわたりスクールカウンセラーとして公立小中学校でカウンセリングをしていますが、高校生ぐらいまでは、本人のカウンセリングより、親に来談してもらい、親の子供への関わり方を変えてもらえるようアプローチします。そのほうが、子供本人に関わるより、ずっと変化が大きいし、解決までの時間が短いからです。大学の教員時代にも多くの学生の相談に乗りましたが、やはり保護者が変わってくれるほうが、ずっと学生の問題解決にとっても有効でした。

 ただし、来談者が大人の場合は、少し事情が変わってきます。親子関係を整理していくとしても、その人自身の親が亡くなられていることもありますし、存命であったとしても、遠くに住んでいたり年を取っていたりして、来談に来てもらうことが難しいことも多いからです。また、ある程度の年齢になると、親から受けた過去の心の傷が問題となり、今更親から関わり方を変えてもらっても仕方がない、というケースもあります。

 こうした場合は、その人の中にある、親に対する捉え方を変えていく、というようになります。つまり過去は変えられなくても、過去に対する考え方を変えていくというやり方です。親の事情や心情を理解して、親に対する感情を変化させたり、自分自身が見つめていた親とは違う親の姿があることを受け入れて、親へのイメージを肯定的に変えていくというやり方です。

 また、親子関係を直接扱わず、親によって傷つけられた自分、愛されなくて育ち切れなかった自分の中の内なる子供(インナー・チャイルド)を自分自身で癒やしていくか、親に代わる誰かから受け入れてもらう、あるいは愛してもらうことによって、心の傷を回復させ、自分自身を育て直そうという考え方です。

 こうした考え方は、教会の中でも、一般的に考えられているやり方です。親に代わって信仰の親や教会長が愛してあげることにより、伝道対象者の心の傷を癒やしていくとか、あるいは神様や真の父母様の私たちに対する愛を伝えることにより、教会員の心を育てていこうという考え方、つまり、愛されなかった心の傷を、愛されることによって癒やしていこうという考え方です。

 しかし、こうした一般的な心理学や教会で考えられている親子関係の整理や改善の方法には限界があり、さらに原理的に見たときに、その考え方ややり方は不十分であると言うことができます。では、どのように親子関係の整理・改善を図っていけばよいのでしょうか。

 「四大心情圏」というのは、ご存じのことと思います。四大心情圏は、図5のように考えることができます。

 人間は、親から愛されることにより子女の愛が育ち、愛された経験に自分の愛を加えて対象を愛することで、愛が育っていきます。成長する中で兄弟姉妹(友人関係)の愛を体恤(たいじゅつ)し、相対を迎えることにより夫婦の愛を育み、子供を生み育てて父母の愛を成長させていきます。この子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛が、四大心情圏です。

 この四大心情圏が歴史的に傷ついてきました。アダムとエバの堕落により、アダムとエバが抱えていた不安と怒りが子供たちを傷つけ、兄弟姉妹の愛が傷ついて兄弟殺しとなってしまったことは、すでに述べたとおりです。そして、そうした中で育ったアダムとエバの子供たちが良い夫婦関係を結べるはずがなく夫婦の愛が傷つき、親になったとしてもゆがんだ父母の愛でしか子供を愛することができず、またその子供たちを傷つけました。そうして育った子供たちは、子女の愛が傷ついて、その結果兄弟関係がうまくいかず……。

 このように四大心情圏の傷つきの悪循環をアダムとエバ以来、歴史的に延々と続けてきたのです。そして、今、私たちの心の中の癒やされ切れていない傷つきが不安や怒りとなって、子供たちを傷つけてしまう、そうした悪循環が続いていこうとしています。これをどのように断ち切ればよいのでしょうか。

 先ほど、愛されなかった心の傷を愛されることにより癒やしていくという考え方では不十分であると述べました。では、なぜ不十分なのでしょうか。

 それは、四大心情圏がどのようにして完成していくかということについての大きな勘違いがあるからです。子女の愛は親から愛されることにより完成するというように考えている教会員がいます。そして、父母の愛は子女を愛して完成するとも考えています。でも、本当はそうではないようです。お父様は次のように語られています。

 「侍る生活とはどのような生活でしょうか。至誠を尽くす生活です。昔は、霊的に神様に対して精誠を尽くしましたが、今日では、実体的な父母に孝と誠を尽くすのです。その孝と誠を、至誠の限り尽くす道が国に対して忠誠を尽くす最初の道であり、これがこの万民に対して、万国を代表する聖人たちがしていたことです。

 したがって、今日のこの地上に、平面的な立場で父母をお迎えし、一つの孝と誠を尽くすというその事実は、国の忠臣の道理を受け継ぐことができ、世界の聖人の道理を受け継ぐことができるという価値があるのです。ですから、神様の前に、あるいは真の父母の前に孝子の名をもち、孝子の公認を受けるということは、偉大で驚くべきことです」(七八−三五、一九七五・五・一)

 このみ言から本然の四大心情圏のあり方を考えていくと、親の愛を基盤として、自分の愛を主体的に発揮することにより子女の愛が完成し、子供から侍られることによって父母の愛が完成し、天地の公認を受けるようになる、と理解することができます。このことが重要なポイントです。

 こうした点を踏まえて、私たちが四大心情圏を完成していく道を詳しく説明していきましょう。

 人が子供を生んで育てるとき、未熟で不十分なことはたくさんあります。でも親は親なりの精いっぱいの努力で子供を愛します。その中で、子女の愛が育っていきます。そして、成長して兄弟関係、友人関係の中で、兄弟姉妹の愛を成長させていきます。そして、相対を迎えて夫婦となり、子供を生んで親になります。自分自身が子供をもち、親の心情がわかるようになって親に侍る時、その時に初めて子女の愛が完成するようになります。そして、自分たちの子供が成長し、結婚して子供(孫)ができて親になった時、祖父母になります。親の心情がわかるようになった子供から侍られて、祖父母の立場に立った親は、父母の愛を完成することができます。

 このようにして、四大心情圏は完成されていきます。ということは、四大心情圏を完成するためには三代圏が必要であるという結論が出てきます。お父様の最近のみ言は、三代で暮らすことの大切さを訴えられるものが少なくありません。それは、四大心情圏を完成するためには、三代で暮らすことが必須だからです。

 もし、親から愛されることによって子女の愛が完成し、子女を愛することによって父母の愛が完成するなら、三代で暮らす必然性は出てきません。二代で四大心情圏が完成されることになるからです。また、神様の愛はとっくに完成されていたでしょう。六千年間、子供である私たち人間を無条件に愛し続けられたのですから。しかし、神様も愛を完成することができませんでした。それは、神様に侍る子女がいなかったからです。神様も、真の子女である真の父母様に侍られることによって、初めて愛を完成することができたのです。

 ですから、真の父母様は、真の愛の完成のため、四大心情圏の完成のために、還故郷をし、自分の親に侍ることを強調されるのです。

 さらに付け加えると、私たちは、自分の肉親の父母に侍りながら、真の血統に接ぎ木してくださる天地人真の父母様に侍ることによって、私たちの血統が真の血統につながっていく道が開かれていくのでしょう。どちらか一方に侍るだけでは、私たちの血統が、神様につながっていくことはできなくなってしまうように感じます。

 このように考えた時、私たちが親から受けた心の傷を回復させる方法は、おのずと見えてきます。それは、「親に侍ること」です。親から愛されるだけでは、心の傷を完全に回復させることはできません。実際に、「小さい頃のことを親から謝ってもらい、親が一生懸命に愛してくれていることはわかるけれど、小さい頃に親から受けた傷は癒えません」という二世もいました。親から謝罪され、愛されるだけでは、心の傷を癒やすには不十分なのです。むしろ、自分の親に侍ることにより、親から受けた心の傷の回復がなされるのです。

 さらに言えば、親に侍るという行為自体が本然の親子関係の中で行われる行為ですから、自然と堕落性が脱げていき、創造本性での授受作用ができるようになるでしょう。逆に言えば、創造本性の授受作用をしていく中で堕落性が抜けていくと言うこともできます。

 いずれにしても、親に侍るという行為が、堕落性を脱ぎ創造本然の私自身を育てていく上でいかに重要かということを理解していただけたと思います。

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 次回は、「氏族関係の改善と氏族的メシヤ」をお届けします。


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