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お父さんのまなざし 10
山に登る

(『グラフ新天地』462号[2006年12月]より)

 男手ひとつで3人の娘を育てるお父さんの、愛溢れる子育てコラムを毎週土曜日配信(予定)でお届けします。
 「子どもを見守ろう……」そう決心したお父さんのまなざしは、家でも学校でも、真っすぐ子供たちに注がれています。

コラムニスト 徳永 誠

 秋の紅葉を期待しながら、休日を利用して中一の長女と知人数人で登山に挑戦した。
 臨んだのは、表丹沢山塊の塔ノ岳(標高1491メートル)である。

 山登りは疲れる。汗もかく。足腰も痛くなる。娘の下山後の第一声は、「疲れたぁ!」のひと言。想定内である。

 ここ数年のことだが、子どもたちと一緒に山歩きをすることが多くなった。なぜだろう。
 時間に追われる毎日を過ごしながら、ふと、子どもたちと連れ立って山に登りたくなってしまう。

▲筆者の娘さん(当時13歳)が描いた絵より

 登山は、確かに余暇の楽しみでもあるが、私にとってその魅力の中心は心身の鍛練にある。
 体がきつくなると、“私”はその重さを実感するようになる。肉体は、「なぜ、登らなければならないの?」とつぶやく。
 しかし一方で、“私”の中からは、「頂上を目指せ!」という心の声が響いてくる。
 かように山行は、心と体、内なる人と外なる人との対話の時間を提供してくれるのである。

 大自然の力を借りながら、自らの心と体を再発見し、自己再創造の道を黙々としてたどるのが、私の密かな登山の目的となっている。
 爽やかな山の風が私の心と体の谷間をスーッと吹き抜けていく。
 頂上に到達し、息を整えながら、山頂で静かに交わる家族や仲間たちとの対話のひとときがうれしい。

 「今度の休日も山登りに行こう!」。筋肉痛が和らいだころ、父は次なる計画を娘たちに打ち明ける。

 「うん、いいね。行こう、行こう!」。子どもたちの声は父の心の中で弾む。

 旧約聖書には、父アブラハムが神の命に従って息子イサクを伴いモリヤ山に登るというストーリーが綴られている。
 「主の山に備えあり」という言葉は、その場面からの引用になるが、私も親子で山に登りながら、忠誠の人、アブラハムと、孝誠の人、イサクのように、親子一体で神様の御心にかなう者になりたいと思う。

 日常の間隙を縫って山の写真や登山地図を眺めながら、わが家族は心身統一と家庭統一を懸けて次なる山頂を目指す。

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 「お父さんのまなざし」は今回で最終回です。
 ご愛読ありがとうございました。