2019.08.28 17:00
歴史と世界の中の日本人
第5回 吉田松陰
夢と情熱、志に生きた心の世界人
吉田松陰(1830~1859)は、長州藩士で思想家、教育者、兵学者であり、一般的に明治維新の精神的指導者・理論家として知られる。
享年30、満29歳で没した。
歴史的な人物の生涯が常にそうであるように、松陰の人生もまた、短くも波乱万丈であった。
松陰がつくった松下村塾は、後の内閣総理大臣二人、国務大臣七人、大学創立者二人など、明治日本を担った多くの人材を輩出している。
驚くことに、松陰が松下村塾で子弟の教育に当たった期間は、長く見積もっても二年十カ月だったという。
三十年に満たない生涯、三年に満たない教育者人生を通して、松陰は歴史的な大事業を成し遂げたと言っていい。
「立志尚特異(志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)」
「志を立ててもって万事の源となす」
「己に真の志あらば、無志はおのずから引き去る。恐るるにたらず」の格言に代表されるように、松陰の残した教えの核心は「志」にあった。
松陰の志は、常に大きな夢と激しい情熱に支えられていた。
ペリーが黒船で二度目の来航をした時のこと、24歳の松陰は、弟子の金子重之輔とともに小舟で米艦に近づき、自分たちをアメリカに連れていってくれと懇願したという。
これだけ見ても、松陰は普通の人間ではない。
松陰の動機は「黒船を造った西洋文明を見てみたい」というものであった。
松陰の、鎖国という国禁を犯してアメリカへの密航を企てた行動は失敗し、結果、獄中生活を強いられた。
「今日の読書こそ、真の学問である」とは松陰の言葉。
実際、松陰は獄中で読書に没頭し、一年二カ月の間に六百冊を超える本を読んだ。
周りの囚人たちも次第に松陰のもとで勉学に励むようになり、牢の外の番人や責任者まで松陰の講義に聞き入っていたという。
松陰はどんな環境にあってもベストを尽くした。そんな彼の志は人々の心を動かし、日本を動かしていったのである。
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次回は、「時を超えてつながる感謝の心」をお届けします。