https://www.kogensha.jp

心のあり方 7
自分と人を不幸にする心

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第11弾、『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
 なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』より)

第二章 愛の刀で苦悩を断ち切る

自分と人を不幸にする心

 自分と人を苦しめる“横綱級の心”があります。番付表ではいつでも上位を保っています。「怨(うら)み」です。怨んで幸福になった人はいません。怨みとは誰かを怨むわけですが、実は怨む心が自分を苦しめているのです。怨みの恐ろしさは、相手がこの世から消えることを望む思いに進化することです。

 お姑(しゅうとめ)さんの命日になると必ずお墓参りするお嫁さんがいたそうです。それはそれは、熱心に供養しています。

 住職さんは、いまどきのお嫁さんにしては見上げたものだと、感心していました。

 ところが、ある命日のことです。供養が終わってから、お嫁さんが住職に悩み相談にきたそうです。その話を聞いて、住職さんは仰天しました。

 「実は、私は姑の命日がくるたびに苦しんでいるのです。供養の最中、姑が私に浴びせた暴言を思い出して、怨みが湧いてきてしまうのです。どうしたらいいのでしょうか、もう耐えられません」。

 姑が亡くなっても嫁の怨みの心は無くならなかったのです。怨みとは相手が死んでも残存する恐ろしい不治の病なのです。

 人は病気になれば、必ず病院に行き、重症であれば入院して手術を受けます。悪い菌を取り除いたり、腫瘍を切り取ったりします。

 ところが、人は不思議なことに、心に付着した腫瘍は取り除けないのです。悪なる心をしっかり身につけて離しません。愛蔵品のように大事にしまっておく人もいます。悪なる心は、あまりにも大切にされるので、すっかり居心地が良くなって、心に居座っているのです。日頃は、おとなしくしていますが、いざとなると激しく活動して“残業”もいといません。心の持ち主を不幸のどん底に落とすためなら何でもします。人を傷つける暴言を送信し、他人の叫びは受信せず、自動消去します。たちの悪いスマートホンのようです。

 このように、苦しみは自分自身の悪なる心が発動して生じているのです。しかも、悪なる心は、持ち主を三つの「れる」に拘束して、死に至る病にかからせます。

 三つの「れる」とは、まず、過去の怨みに、「とらわれる」です。

 次に、今の苦しみに、「さいなまれる」です。

 そして、未来を「恐れる」です。

 過去の出来事のために、現在を失い、まだ来てもいない未来も失うのです。「あすも、きのうと同じようにひどい目に遭うに違いない」と、恐れを抱き、希望を捨てるのです。

---

 次回は、「悪なる心を断ち切る真の愛」をお届けします。


◆『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』を書籍でご覧になりたいかたはコチラ