夫婦愛を育む 72
とてつもなく大きな愛

ナビゲーター:橘 幸世

 大きな悲しみや絶望の中にある時、信仰者であれば神仏に救いを求めるでしょう。神様や仏様から霊的に言葉や癒やしを受ける奇跡を体験する人もいるかもしれません。文字どおりの“奇跡”ではなく、人や自然を通して、絶望の底から引き揚げられる人も多いかと思います。
 いずれの形にせよ、それまでに経験したことのない、とてつもなく大きな愛、大きな器に出会って、善なる本性が復活し、私たちは再び歩み始めることができます。

 『人生という名の手紙』の著者ダニエル・ゴットリーブ氏は、同書の中で姉シャロンのある行動を紹介しています。

 彼女は事業で成功しました。やがてその事業を売りに出し、新しい会社を立ち上げます。彼女から事業を買い取った男性とは、時々ランチを共にするなど付き合いを続けます。景気が悪化し、男性のビジネスは大きな打撃を受け、彼は鬱(うつ)になり結婚生活にも影響します。
 一方シャロンの会社は好調でした。絶望の中にいた彼に、ランチ後の別れ際、シャロンは自分の会社の鍵を彼に差し出して言います。「差し上げるわ」。

 シャロンのこの行為を家族が知ったのは、彼女の葬儀の後でした。7日間の服喪期間の最後の日に、この男性が訪ねて来て打ち明けたのです。自分の結婚生活も、人生そのものも、救われました、と。

 情熱とエネルギーを注いで育て上げた会社を、目の前にいる知人を苦しみから救うためにあっさりと与えてしまう。想像を絶する無私の愛(加えて陰徳)に、私は驚嘆しました。
 おそらくこの男性は、現実面で救われただけではなく、人生そのもの、人間そのものに大いなる光を見たのではないでしょうか。

 東日本大震災後の3月22日、気仙沼市で10日遅れの卒業式が行われました。溢れる涙をこらえながら答辞を読む卒業生代表の姿や言葉を覚えている人も多いでしょう。

 「…天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、悔しくてたまりません。…命の重さを知るには、大き過ぎる代償でした。…しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの、わたくしたちの使命です。…」

 未曽有の災害の中にあって、15歳の少年が必死に涙をこらえながら「天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく」と言った姿に、その高潔で大きな魂に、失意の中にあった多くの人が奮い立たされました。
 事業に失敗し腐っていた人、火事で家を失い途方に暮れていた人たちが、「俺は何をやっているんだ」と己を振り返り、立ち直ったのです。

 これを書きながら今でも目頭が熱くなります。が、感動するばかりで、彼やシャロンのように、与える側になれる日はいったい来るのだろうか、と思う私がいます。