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幸せを引き寄せる 16
感謝献金

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第7弾、『幸せを引き寄せる〜「愛天愛人愛国」家庭生活講座』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『幸せを引き寄せる〜「愛天愛人愛国」家庭生活講座』より)

第三章 国を愛する

感謝献金

 「あなたにとって、幸福になるために絶対必要なものは何ですか?」と質問されたらどう答えますか。

 ある人は、「決まっているでしょう。お金ですよ」と答えました。

 確かにお金ほど生活に密着したものはありません。食品を買うのも「お金」、電車や車で移動するのも「お金」、家を建てるのも「お金」、ガス、電気、水道の使用も「お金」。何でも「お金」が必要です。

 毎日、資金繰りに追われている経営者は、「お金は空気である」と言いました。この方はお金を呼吸して生きているのかもしれません。

 しかし、見方を変えると、お金ほど役に立たないものはないのです。例えば紙幣。まず、メモ用紙としてすら使えません。紙一面に印刷されていて文字を書く隙間がありません。せめて、紙幣の右横でも空欄になっていれば、メモできますが、ありません。トイレットペーパーにもなりません。

 また、人はお金を食べて生きているわけではありません。お金が食べられるなら、料理の手間が省けます。お皿に百円玉や千円札を置いておけば、立派な夕食になるからです。夕方帰ってきた子供やご主人が、「おいしそうなお金だね、味付けのために、もうちょっと醤油をかけて食べようかな」と言うかもしれません。人間はヤギではありません。紙幣を食べて生きているわけではないのです。そんなに役に立たないのに、燃やすことができません。一万円札にマッチで火をつけるのは勇気が要ります。寒い野外で、体を温めることさえできないのです。

 「紙幣など全く役に立ちません。とてもやっかいなものなのです」とは、一生に一度は言ってみたい言葉です。

 ところが、そんなに役に立たないはずの紙幣が、何十枚、何百枚になると、人の心が変わります。血眼になって争いを起こします。憎しみや怨みが湧き出て人間関係が壊れます。愛を捨てる人、命を粗末にする人が現れます。なぜなら、お金は、土地、家、高い地位まで手に入れることができるからです。そのため、多くの不幸はお金に起因しています。

 では、お金をどのように使用したら、幸運を引き寄せることができるのでしょうか?

 年末年始になると、多くの人が神社仏閣にお参りに行きます。健康祈願、家庭円満、商売繁盛、無病息災、などを神仏にお願いします。ただ、すぐに合掌してお願いはしません。必ず、お賽銭(さいせん)を捧げてから、手を合わせます。なかには、お母さんが子供にお金を渡している、ほほえましい光景もあります。どうやら、日本人の心には、お賽銭を捧げてから、神仏にお願いする風習があるようです。それは、ひょっとして人間の本性かもしれません。

 お金は衣食住のために使いますが、お賽銭は、神仏に感謝して捧げます。神仏への報恩感謝の心ともいえるのです。

 文鮮明先生は、お金を神様に捧げる貴さを語られています。

 「献金とは何かといえば、世界のために、神様のために祭物として使うものです。お金は、万物を身代わりするもので、そのようにすることによって、すべての万物が嘆息することなく、天のみ国に行ける道が開かれるのです」(『愛天愛人愛国』、130ページ)

 では、万物が嘆息する、とはどういう意味なのでしょうか。

 文鮮明先生は、お金の心になってみると、それが分かると言われるのです。神様が創造した全ての万物は、人類の幸福と平和のために存在しています。万物たちにも潜在的な心があって、人類のために使われることを願っているのです。そのように使われたときに、喜びを感じるのです。

 お金の心はこうなのだと文鮮明先生は言われます。

 「お金は必要ですが、全体のために、愛を実現するために必要なのです」(『愛天愛人愛国』、128ページ)

 桜の花は満開となって人々を喜ばせます。ご飯、野菜、果物は、栄養素になって人々の命を養います。電気は家の機能を稼動させて、住人の生活を保護します。

 ところが、お金はどうでしょうか? 意外なことに、お金は、「私の行ってとどまる所では、いつも人が変わっていってしまう」と嘆き悲しんでいるというのです。

 確かにそうです。お金をめぐって親子や兄弟が争いを起こしています。保険金詐欺のように父母や兄弟を殺す事件も起きています。お金の奪い合いで戦争、搾取が世界中で起こっています。どんなに良い人でも、「お金」を手にすると、人間性を失ってしまうこともあります。お金に万物の霊長である人間が弄ばれているのです。

 このため、「お金」の歴史は最も醜い歴史になってしまったのです。それでお金が悲しみ嘆いていると、文鮮明先生は言われるのです。

 では、お金はどんな人に使われたいと願っているのでしょう。お金に感謝される人、お金から尊敬される人、お金が使われたいと願っている人とはどんな人なのでしょうか。まさに、その人こそ、幸運を引き寄せる人なのです。

 その人を文鮮明先生は、三つの条件を備えた人だと言われます。

 第一に、お金をたくさん持っても、心の清さを失わない人

 第二に、お金をたくさん持っても、愛の変わらない人

 第三に、お金を全て失っても、何も失っていない豊かな心を保てる人

 お金を持っても、人類愛が少しも変わらない人なのです。お金を失っても人類愛が豊かな人なのです。そういう人に会ったとき、お金は幸福を感じるというのです。

 神様に捧げて世界平和に使っていただくお金を“献金”と言います。献金は、神様と人類を愛する心を捧げることなのです。

 では、いつ捧げたらよいのでしょうか?

 最初の水を神聖なものと考えて神仏に捧げる美しい風習があります。初水です。最初に使うお金を神様に捧げるのが良いのです。そして、残ったお金で生活させていただくのです。文鮮明先生は次のように言われます。

 「最初のものは、神様の前に捧げなければならないのです。聖なる物は、神様の前に捧げなければならないのです」(『礼節と儀式』(文庫版)、135ページ)(続く)

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 次回は、「愛天愛人愛国の家庭生活」をお届けします。