シリーズ聖歌 31
聖歌 第一部 36番「主よ来たりませ」

 皆さまのご要望にお応えして、Blessed Lifeからも世界平和統一家庭連合の「聖歌」をご視聴いただけるようになりました。第一部1番から順にご紹介してまいります。

 今回は、聖歌の第一部36番「主よ来たりませ」をお届けします。

 この歌は、韓国キリスト教会の讃美歌です。作曲者は、韓国キリスト教音楽の父といわれている朴在勲(パク・チェフン)牧師です。

 「主よ来たりませ」は、アラム語で「マラナ・タ(Maranatha)」といい、コリント人への第一の手紙1622節に出てくる言葉です。口語訳聖書と新共同訳聖書では、原語併記で「マラナ・タ(われらの主よ、きたりませ)」(口語訳聖書より抜粋)と訳されています。

 ギリシア語の古典語辞書によると、「マラナ・タ」は、主イエスの再臨を切実に思慕する初代キリスト教会の信徒たちの信仰と願いが込められた祈りの言葉でした。主イエスに「来てください」と祈ることが、教会の信仰の中心だったのです。その信仰から生まれた祈りが「マラナ・タ(われらの主よ、きたりませ)」なのです。

 同様の祈りは、新約聖書の最後、ヨハネの黙示録2220節でも出てきます。「これらのことをあかしするかたが仰せになる、『しかり、わたしはすぐに来る』。アァメン、主イエスよ、きたりませ」(口語訳聖書より抜粋)、新約聖書はこの祈りをもって閉じられています。

 また、この言葉は初代キリスト教会のあいさつの言葉でもあったそうで、日常生活の中で使われていたようです。「主よ、きたりませ(マラナ・タ)」とあいさつを交わし、迫害の中にいる自分たちを互いに励まし合いながら信仰を確認していたそうです。

 聖歌36番「主よ来たりませ」は、そんなキリスト教信徒たちの、主の再臨と救いを願う切実な祈りと、純粋で一途な信仰を感じることができる歌なのではないでしょうか。

 すでに再臨主が来られ、真の父母として勝利されたことを知る私たちは、「主よ来たりませ」にどのような思いを込めるのでしょうか。

 他の聖歌もYouTubeU-ONE TVチャンネルの再生リスト「聖歌」からご視聴いただけます。