信仰と「哲学」22
善について~プラトンのイデア論とその背景

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 「イデア」というギリシャ語は「見られた真の姿」というほどの意味です。
 プラトンは、イデアという言葉で、私たちの目で見える形ではなく、言ってみれば「心の目」「魂の目」によって洞察される純粋な形、すなわち、「ものごとの真の姿」や「ものごとの原型」という内容を表現しています。

 プラトンの言うイデアは、幾何学的な図形の完全な姿がモデルともとれます。
 紙に描かれている三角形は完全ではありません。しかし私たちは完全なモデルを洞察することができるのです。それが三角形のイデアなのです。

 人が単に生きるだけであれば、善のイデアとは無関係ですが、およそ人間であれば生まれた以上は「よく生きること」を望みます。古今東西にわたる普遍的欲求です。

▲プラトンとアリストテレス(ラファエロ画、1509年/ウィキペディアより)

 『原理講論』には次のように記されています。
 「その子供に悪いことを教える父母がいるであろうか。その子弟を不義に導く教師がいるであろうか。だれしも悪を憎み、善を立てようとするのは、万人共通の本心の発露なのである」(「総序」、2122ページ)

 「善のイデア」の具体的内容については述べられていません。しかし、「全ての共通項」なのです。いつでも、どこでも、誰にでも当てはまるものであり、永遠に変化しない本質なのです。

 プラトンの主張したイデアは、「善のイデア」だけではありませんでした。人間には人間の理想像がある、それは人間のイデア。そして、人間だけではなく、山には山のあるべき姿があり、犬には犬のイデア、それどころか「髪の毛のイデア」さえある、と述べているのです。

 プラトンは、イデアの起源、根拠について「デミウルゴス(造物主)」との関連で説明しました。造物主が世界を創る様子は、陶芸家がツボを作る様子で例えたのです。
 陶芸家は、どんなツボを作ろうかと考え、そのとおりのものを作る。この時、造物主の頭にある設計図がイデアに当たるとしたのです。

 現実界の人間や事物は多種多様であり、時間とともに変化し、複雑な様相が展開されます。しかしイデアはそうではありません。あらゆる同種の個体に共通の設計図であり、本質なのですから、その数は個体の豊富さに比べれば少ないのです。そして、イデアは生成消滅する現実世界には見いだすことはできない、現実を超越した別次元の世界、イデア界に存在していると見たのです。

 イデア論の背景には、師ソクラテスを死に追いやった国家の変革、あるべき国家の在り方に向かって現実を変革すべきという、プラトンの強い動機があったのです。