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文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写 39【最終回】

食事は感謝していただきましょう

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第3弾、『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。今回が最終回です。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『心の書写~文鮮明師自叙伝に学ぶ~』より)

【第十章】心の門を開き、自然の声に耳を傾ける

家庭生活と万物とのやりとり

食事は感謝していただきましょう
 食事は、食材の命を頂くことです。牛、豚、鶏、あるいは魚などが、私たちのために命を捧げてくれたのです。野菜も同じです。野菜や果物が貴い命を捧げてくれたのです。もし、自分のために命を犠牲にしてくれた人がいれば、永遠に感謝するでしょう。命を犠牲にして尽くしたのに、その人から感謝の一言もなかったら、怨みを持つでしょう。食材はまさに私たちのために命を捧げたのです。だから、食事をするときは感謝しなければならないのです。

 文鮮明先生は食事の心構えについて、次のように語られています。

 「御飯を食べるとき、豚のように、祈りもできず、感謝する心がないままで食べてはいけません。それはすべて、生き物を殺して作った祭物なのです」(『愛天愛人愛国』112~113ページ)

 「皆さんが御飯を食べるとき、御飯にありがとうとあいさつもせずにむやみに食べると、世の中の御飯がすべて動員してデモを行ったら、どうするのですか。……人間がそのような状況にいれば、ストライキをするでしょうか、しないでしょうか。万物も同じだというのです」(同、113~114ページ)

 食材の命を頂いたら、必ず恩返しをしなければなりません。では、食材への恩返しはどうすればいいのでしょうか。それは、神様と人のために、より多く善(よ)いことをすることなのです。食材は食べられて人の肉体の血肉となったのです。その体で善なることをすれば、食材は善の食物となるのです。人間を通して、神様と人のために役立ったのです。食材の立場に立てば、「食べられがい」があったのです。

 食材の立場で食事をするのが愛なのです。食材を感謝して食べて、より為(ため)に生きると、食材が口々に喜んで感謝するというのです。

 文鮮明先生は食材を前にした感動的な体験を話されています。

 「ご飯を前にするごとに、『おまえを食べて、きのうよりももっと輝いて、公的なことに取り組もう』と言うと、ご飯が私を見て、笑いながら喜んだのです」(自叙伝、83ページ)

 しかし、感謝もせず、食べた体でオレオレ詐欺などをすれば、「食べ物が『口の中に入っていかない』と言って、ぶるぶる震えるというのです。霊眼で見ればそのようになっています。『私は悔しい』と言いながら大声で叫ぶというのです」(『愛天愛人愛国』、116ページ)。

 食材を愛すると心の門が開かれ、食材の声を聞くことができるのです。

 これらの食材を食べて成り立っているのが私たちの体です。肉体は神様から頂いた万物です。それゆえ、体を愛さなければなりません。それが健康に気を遣うということです。

 世の中にメガネ屋さんはありますが、目を販売している店はありません。耳鼻咽喉科はあっても耳や鼻を販売している病院はありません。胃腸薬を販売している薬局はあっても、胃腸そのものを販売している店はありません。胃腸や心臓の還元セールなどないのです。すべては、神様から頂いたものなのです。ですから、体をいたわり、感謝して、善行をしなければなりません。

 神経が働き、口が動き、五本の指が器用に動くのは、神様や人のために役立てるためです。それが体のためになるのです。人をだまして罪を犯し、警察から逃げるために足があるわけではないのです。体が共犯になってしまうのです。

 罪を犯そうとするとき、体のすべてが嘆き悲しんでいる声を聞くべきです。

 文鮮明先生は食べ物の訴えを語っています。

 「誰かが自分を食べれば、その人にとって善の食べ物となり、より価値ある栄養素を作ってあげようと思うのですが、悪人が食べるので、悪の栄養素となってしまいます」(『愛天愛人愛国』113~114ページ)

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 今回で『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』は最終回です。
 ご愛読、ありがとうございました。
 同コンテンツは、バックナンバーとしてお読みいただけます。引き続き、ご活用ください。


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