2018.12.27 22:00
文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写 30
良心は天国を目指す
アプリで読む光言社書籍シリーズ第3弾、『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。
浅川 勇男・著
【第八章】影のない人生を生きる
良心は私たちを天国に導き、地獄へ行かせないように働いています。そして、今の生き方でどのような霊界に行くかを探査してわかっています。そして絶えず警報を発してくれるのです。その警報の結果が、「影」なのです。文鮮明先生は良心の働きと人生のあり方を、こう語られています。
「最も大切なことは、罪を犯さず、影のない人生を生きることです」(自叙伝、238ページ)
「はっきりしていることは良心が躊躇(ちゅうちょ)することをしてはならないという事実です。良心に引っ掛かることをすれば、必ず心に影が残るのです」(同、238ページ)
良心は天国へのナビゲーターと心得るべきです。霊界天国への道標なのです。私たちの心に良心があるからこそ、この世で真の幸福の道が開かれるのです。
死が怖いのは、一つには死の意味がわからないことがありますが、もう一つには、今死ぬと恐ろしい霊界に行くことを良心が知っているので、恐れや不安という警告を与えているためです。したがって、人は死が近づくと恐れと不安に駆られて人生を振り返るようになるのです。そのため、常に、瞑想(めいそう)や祈りを通して自分の良心を磨かなければなりません。
しかし、すでに良心に反して、心に影を残している人も多くいます。あるいは、影の無い人は一人もいないかもしれません。人によっては罪を犯し過ぎて、影そのものになってしまっている人もいます。では、天国に行くにはどうしたらいいのでしょうか。
良心はそれを指導してくれます。人生をナビゲートしてくれます。それが、償いなのです。償いを通して罪を帳消しにして、影を消していくのです。罪の償いで心の影、人生の影を消すのです。自己中心に生きて罪を犯したのですから、ために生きて罪を償うのです。
そのためにどうしたらいいか、良心が明示してくれます。
償いを主題に、事実を基にした小説があります。江戸時代の話です。
ある家の奉公人が、主人と口論をして、誤って殺してしまいました。男は家から逃れて姿を隠します。この事件をきっかけに人生の転落が始まります。金のために人殺しをするのです。旅人を襲っては金を奪い、人を殺して手は真っ赤な血で汚れてしまいました。殺人、強盗、あらゆる罪を犯してしまいます。
しかし、ある日、良心が目覚めたのです。そして怖くなったのです。自首しようとして高徳な僧侶に懺悔(ざんげ)すると、自首して獄門刑にされて報いを受けるのも一法だが、それよりも仏道に帰依し、身命を捨てて人々を救うと共に、自分自身を救うようにと諭(さと)されました。僧侶が言うには、出会う人、出会う人のために生きてこそ罪滅ぼしになるというのです。男は、その日から、困った人を見ると助けました。たくさんの人を助けましたが、良心が満足しません。罪悪感は募るばかりです。そうして本州から九州に渡り、大分県までたどり着きました。
山の中で、ある衝撃的光景に出会います。何人かの死体が筵(むしろ)をかぶせられて運ばれてくるのです。村人に尋ねると、断崖があって、その狭い脇を命懸けで通らないと向こうに行けない所があり、足をすべらせて転落し、死んでしまう人が後を絶たないというのです。男はその断崖の壁に立ち、良心の声に打たれます。「ついになすべきことを見つけた」という感動が胸に込み上げてきました。
「この壁を削ってトンネルをつくれば、断崖から転落して死ぬ人はいなくなる。一年で十人を救うとして、十年で百人……。これこそが自分の償いの道だ」と悟るのです。彼は、壁の前に掘っ立て小屋を建て、のみを槌(つち)で打ちたたいて壁を崩そうとします。頑強な岩の壁がすぐに崩れるはずはありません。数カ月してもわずかにしか穴は開きません。村人は狂人だと笑いました。しかし、彼は黙々と心を込めてたたき続けます。やがて一年、二年、そして十年と歳月がたちます。それでも彼は止めません。ひたすらたたき続けます。穴は次第に深く長くなっていきました。そして十数年の歳月が流れ、不可能と思われたトンネルが出来そうになります。村人は、ついにこの男を尊敬して手伝い始めます。もう少しで貫通するかという時、すでに白髪の老人となった男がふと見上げると、若者が刀を握って立っていました。若者は、「やっと見つけたぞ、私が誰かわかるか」と言いました。男は直ちに分かりました。それは、彼が殺害した主君の子供だったのです。親の仇討ちのために全国を探していたのです。
男は抵抗せず、「あなたに切られて本望です」と言いました。若者が切り殺そうとしたとき、村人たちが反対しました。「この人は我々のために生きている、どうか殺さないでください」と切願したのです。それでも殺したがる若者に石工の統領が、「せめてトンネルができてから、怨みを晴らしてください」と提案しました。さすがに若者はしぶしぶ納得しました。しかし、気持ちが収まらないので、夜、刀を持って洞窟に入り、男を殺そうとしたのです。
しかし、一心不乱に穴を掘る老人に刀を振り下ろすことはできませんでした。それどころか、若者の良心が語り掛けます。
「仇(かたき)を討とうとするおまえと、罪の償いのために生きているこの男とどちらが正しく生きているのか」と。
やがて、若者は、自分ものみを持って一緒に壁に向かうのです。怨讐(おんしゅう)と共に村人のためにのみを振るうのです。ついにトンネルは貫通し、光が洞窟に入ってきます。男の21年にわたる血涙は実ったのです。そして、その光の中で、若者と男は抱き合って喜ぶのです。
この話は、大分県に今も残る、青の洞門といわれる岩のトンネルにまつわる実話を、作家、菊池寛が小説『恩讐の彼方に』として書いたものです。
良心の声に耳を傾けて、心の影を消そうとした男と、心の影をつくる直前で止めた若者の、恩讐の彼方にある喜びの彼岸の世界を描いています。
文鮮明先生は語ります。
「最も大切なことは、罪を犯さず、影のない人生を生きることです」(自叙伝、238ページ)(続く)
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次回は、第九章の「幸運の家計簿」をお届けします。