2018.11.18 22:00
幸福への「処方箋」16
第二章 幸福実現への障害発生――「堕落論」
堕落性本性とは
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野村 健二(統一思想研究院元院長)・著
堕落性本性とは
さて、「天使が神に反逆して、エバと血縁関係を結んだとき、偶発的に生じたすべての性稟(せいひん)を、エバはそのまま継承した」。「こうして天使長の立場におかれるようになったエバと、再び血縁関係を結んだアダムも、またこの性稟を受け継ぐようになった」(講論122頁)。
統一原理は現存する全人類はすべてこのアダムとエバの子孫だという大前提の上に立って、神から与えられた創造本性と異なる人間の「堕落性」はすべてこの時に生じた性稟から派生したものだとし、これを堕落性本性と呼びます。これは次の四つに分類することができると述べています。
①神と同じ立場に立てない――「天使長が堕落するようになった動機は、神が愛するアダムを、神と同じ立場で愛することができず、彼をねたんでエバの愛を蹂躙(じゅうりん)したところにあった」(講論123頁)。上役が愛する部下を、その同僚が、上役と同じ立場に立って愛することができず、ねたみ嫌うのは、このような堕落性本性から生ずるものだといいます。
②自己の位置を離れる――ルーシェルは、天使世界で占めていた最高の愛の位置を、新しく創造されたアダムとエバで始まる人間社会でもそのまま保ちたいという過分な欲望のために、自己の位置を離れました。このように、神に対する「不義な感情をもって、自己の分限と位置を離れるというような行動」(講論123頁)がこれに当たります。
③主管性転倒――「人間の主管を受けるべき天使が、逆にエバを主管し、またアダムの主管を受けるべきエバが、逆にアダムを主管する」(講論123頁)ということが、この堕落性本性の起こりです。
④罪を繁殖する――堕落したエバが「自分の罪をアダムに繁殖させなかったならば、アダムは堕落しなかったであろうし、エバだけの復帰ならば、これは容易であったはずである」(講論124頁)。それに反して、自分の罪を他人に向かって繁殖させようとするのが、この堕落性本性の特色です。(続く)
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次回は、第一部 第二章の「罪とは」をお届けします。