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青年の希望 10

 あの『文鮮明(ムン・ソンミョン)師御夫妻メッセージ集 青年の希望』が、30年の時を超えてBlessed Lifeに掲載されることになりました。
 「膨大な文師の講話集の中から、特に日本の青年に対して希望を与えようと、日本語で語られたもの」が選ばれ、まとめられたみ言集です。
 若い世代はもちろん、全世代にお読みいただきたい、読めば読むほど、元気が出てくるメッセージ集です。(一部、編集部が加筆・修正)


(光言社・刊『文鮮明師御夫妻メッセージ集 青年の希望』〈1995年11月10日初版発行〉より)

神は一人で愛と幸福を実現できない

 もし私たちが、その位置において完全に神の愛を感じることができるならば、どれほど幸せでしょうか。
 もし堕落していなかったならば、私たちの肉身は、神の相対的立場に立っていたことでしょう。

 もし幸福が、あるべき姿として成就していたならば、幸福は永遠であったことでしょう。その幸福は、不滅であり、永続したことでしょう。
 私たちの一瞬の生命のようにではなく、神が幸福な時、そのような神の相対的立場に立てば、永遠に幸福を感じることができるのです。

 神は、一人で幸福になることはできません。神は、愛をもっておられるにもかかわらず、一人では全く愛することはできません。神は、理想をもっておられるにもかかわらず、一人ではその理想を感じることも、成就することもできません。

 神がもっておられる、限りない理想、限りない幸福、そして限りないあらゆることも、人間なくしては決して成就されません。
 それが神によって創造された人間の、重大な、永遠な価値であると知るならば、私たちはどんなに幸福を感じることでしょう。

 もしそのような幸福な一日を体験でき、完全に神と一つになれるならば、人は、たとえ肉身を中心とした一千年の生活であっても、それと交換することはないでしょう。
 皆さん、そう思いませんか。

 長い歴史を通して、神はずーっと、この完全な究極の理想を探し求めてこられました。
 神は何千年もの間、それを切望してこられたにもかかわらず、一度たりとも、私たちの内にその完全な基準を見いだすことがなかったことを学ばなければなりません。

 私たちは最初において、完全に調和されて一つになるべきでした。
 私たちはそれを成さなかったために、分裂し、もがき、悩み、苦しんできました。それが人類歴史です。

 私たちが今、その理想の立場にいないということを、だれが否定できるでしょうか。
 いったんこれが真実であることを見いだすならば、「理想などいらない」とは、だれも言わないことでしょう。

 むしろ、だれもが求めていくことでしょう。そしてそのあとは、いかにすれば、その理想が実現できるのかということを考えるようになります。

(続く)

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 次回は、「宗教こそ重要なものをお届けします。