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スマホで立ち読み Vol.13
『幸福な人生には原則があった』2

入山 聖基・著

(光言社・『幸福な人生には原則があった』より)

 スマホで立ち読み第13弾、『幸福な人生には原則があった』毎週土曜日(予定)にお届けします

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第1講座 神の実在

人間の無知

 「統一原理」は、『原理講論』という600ページ以上ある一冊の書物にまとめられています。その冒頭の一文を紹介します。
 「人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。個人のささいな出来事から、歴史を左右する重大な問題に至るまで、すべては結局のところ、等しく、幸福になろうとする生(せい)の表現にほかならないのである」(『原理講論』21ページ)

 人は誰もが幸せになろうと一生懸命努力しています。努力に応じて幸福が得られるなら、誰も文句を言わないでしょう。しかし、現実はそうではありません。幸福を願って努力しているのに、不幸になることもあるのです。それはなぜなのでしょうか? 誰もが平和を願っているのに戦争が絶えません。なぜなのでしょうか?

 このような理想と現実の矛盾から生きる苦しみが生まれています。この答えを誰も得ることができないまま、人類歴史は今日まで流れてきました。しかし、この問題に対し、「統一原理」では、たった一文でその答えを出しているのです。

 それは、「(人間が)堕落することによって……無知に陥ってしまったため」(『原理講論』34ページ)であるというのです。

 「堕落」というのは、人間が本来あるべき姿を失ったということです。そして、人間として当然知っているべきことを知らないで生きているというのです。皆さんは努力していろいろなことを学んでこられたでしょうから、「無知」などと言われれば、一体何を知らないと言うのかと思われることでしょう。

 意外に思われるかもしれませんが、それは「神がわからなくなったこと」だと「統一原理」は教えているのです。

 「神がわからなくなった」ことが根本的な無知となり、目に見えない無形世界のことがわからない「内的無知(霊的無知)」に陥りました。その結果、人間が何のために存在しているのかということもわからなくなってしまったのです。

 さらに、物質世界の根本や、自然界がどのような法則で成り立っているのかがわからない「外的無知」に陥ってしまったのです。

 人類は、宗教や科学を探究することを通じて、こうした内外の無知を克服する努力をしてきました。その結果、多くの答えを得てきたことは事実ですが、幸福と平和に関する人間の生きる苦しみはいまだに解決されていません。

 「神がわからない」という根本的な無知の問題が解決されていないために、問題を根本的に解決することができないでいるのです。それゆえに、「神の実在」を明らかにしなければならないのです。

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 次回は、「神が信じられない理由(前)」をお届けします。お楽しみに!



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