2024.08.31 17:00
真のお母様の人生 8
お父様、子女様、統一家食口のために歩んでこられたお母様の人生
『TODAY'S WORLD JAPAN(トゥデイズ・ワールド ジャパン)』に掲載された、鄭元周(チョン・ウォンヂュ)総裁秘書室長の証しを毎週土曜日配信(予定)でお届けします。
真のお父様と最終一体をなし、天宙の母として立たれた真のお母様とはいかなるおかたであるのか。真のお父様が霊界から「あなたは神様が摂理のために私に下さった最愛の妻であったばかりでなく、最も誠実で身近な弟子だった」と語られた、そんなお母様のお姿の一端に触れることのできる証しです。
この証しは2003年、真のお母様の還暦を祝って韓国で刊行された「韓鶴子(ハン・ハㇰチャ)総裁還暦記念文集」の第2巻に掲載されたものを翻訳し、整理したものです。(編集部)
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【日本巡回】
アラスカのお父様が電話でお母様の講演をお聞きになる
真の父母様の摂理の中で、世界を巡回しながら行われた講演会ほど苦労の伴うものはありませんでしたが、同時に最も偉大な業績であり、摂理発展の歴史であるといえます。
1990年以前の世界巡回では、主にお父様がみ言を語られ、お母様はそこに同行されました。お父様は、夕方の時間に国家的指導者に向けて講演され、食口(シック/家庭連合の教会員)たちには夜の集会を通してみ言を下さいました。
1991年9月、アラスカでお父様が突然、お母様の日本4か都市巡回講演(信徒大会)を決定なさったとき、準備期間は1週間しかありませんでした。お母様のご講演は、それ以前の1980年代にもありましたが、お一人での巡回講演はこのときが初めてでした。お母様は、横で拝見しているのが痛々しいほど必死に準備なさいました。
9月14日、お父様の熱い愛を受けながら、お母様は孝進(ヒョウジン)様と共にアラスカを出発し、日本に到着されました。東京の本部で食口の歓迎をお受けになりながらも、お父様の日本入国が許されていないことを思われてか、お母様は非常に複雑な心情であられたと思います。
食口の前では慈愛に満ちたほほえみで、お父様の愛とともにみ言を下さるお母様でしたが、寝室に入られた後は、ベッドに腰掛けて静かに祈りながら、人知れず涙を流されました。そのお姿を拝見したとき、私は、責任を果たせず父母様の心を痛めてしまった不孝に対して、胸がつぶれるようでした。
でも、しばらくしてお父様に電話されるときは、明るく語られました。「お父様、日本に無事到着して、食口に話をしてきました。一緒に来られたらどれほど良かったか……」。そして愛に満ちた美しいお声で、「海に出るときは、服をしっかりとお召しになってくださいね。お父様、愛しています」と言われ、電話を切られるのでした。
そのときは、お母様の初めての巡回講演ということで、お父様はひたすら講演の時間を待ちながら、そわそわなさっていたそうです。当時は、電話中継や映像中継など、誰も考えることもできませんでした。
ご講演の時間となってお母様が登壇されたとき、アラスカのお父様から当時の会長の携帯電話に電話がかかってきました。どうやら携帯電話を通して音声を送ってさしあげることになったようで、携帯電話が大型スピーカーの前に置かれました。「お父様、お母様のお声がよく聞こえますか」とお尋ねすると、お父様は非常に喜ばれ、1時間ほどのお母様の講演(韓国語の講演の後、朴普熙〈パク・ポーヒ〉会長の通訳が続く)を全てお聞きになりました。
講演を終えて壇上から降りてこられたお母様は、お父様が最初から最後まで電話を通して講演を聞かれたことを知って、大変喜ばれました。この時に始まった歴史的な電話中継が、今日の映像中継に受け継がれているのです。
その後、本部に戻り、指導者たちから感想をお聞きになったお母様は、不足な点があれば鋭く指摘なさり、食口の苦労した点については称賛と激励を惜しまれませんでした。お母様の濃(こま)やかで深い愛を近くで感じると、食口はさらに一生懸命に頑張らなければという決心と覚悟を持つようになるのです。
1992年9月から10月にかけて行われた、2回目となるお母様の日本巡回講演(7か都市)もアラスカで突然決まりました。しかも、日本語で講演なさることになったのです。普段からお使いになっているわけでもない日本語で、そのうえ東京ドームのような大きな会場で講演をしようというのですから、その準備はどれほど大変だったことでしょうか。
(続く)
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次回は、「海抜4000メートルの高地での講演では酸素吸入器を準備」をお届けします。