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日本を愛した文先生の足跡 4
広島

(光言社『グラフ新天地』385号[2000年8月号]「日本を愛される文先生の足跡」より)

 8月20日に迎える「文鮮明(ムン・ソンミョン)天地人真の父母天宙聖和」12周年を記念して、毎週火曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)

「自分の生涯をささげて伝道するんだ」

 文鮮明先生が最初に広島を訪問されたのは196524日のことです。

▲心を込めて文先生をお迎えした(196524日)

 午後8時ごろ特急「しおじ」で広島に着かれました。市内の中心部を通って教会に着かれ、「勝利の歌」の合唱の中を部屋に上がられ…み言を語られました。

 「30億人類は歴史的心情、イエスの内的心情、十字架の内外共の心情を全体的に知って心情的蕩減の基準を地上に決定させ、神を慰め、あなたを見てすべての苦労を忘れ、あなたがあるから新しい希望、新しい勇気を持つことができるところまで行かなくてはならない」

▲グラスを手に歌を歌われる文先生(19652月)

 その日は午前3時にお休みになられました。5日、朝食の後、前の晩のように質問および和動会が行われました。

 「神様はいるのですか」「霊界はどうなっているのですか」などの質問が出る中で、一人の学生が「私たちはこれから何をしたらいいですか」という質問をしました。

 それを聞いた文先生はとても喜ばれ、「青年として自分の生涯をささげて伝道するんだ。伝道して次に先生が来るときには、多くの人を連れてこないといけない」と言われました。

電車の窓ガラスに「しっかり」と書かれて

 文先生は午後220分に教会を出発され、広島城内に聖地を決定されました。…その後駅に向かわれ、午後322分発「みどり」で福岡へ。車中の人となられた文先生は、窓ガラスに「しっかり」と書かれました。

(参考/『成約新聞』特集号、1965315日付)

▲聖地決定(196525日午後235分、広島城内)

▲福岡へご出発の時(196525日)

 広島で書かれた揮毫(きごう)は「聖戦萬勝之廣島」「福地建設之地日本之廣島也」「香花盛園之地」です。

▲文先生が広島のために書かれた揮毫

 次に文先生が広島を訪問されたのは、196771112日のことでした。そこで初めて文先生にお会いした村上東(あずま)さんは、当時を振り返って語ります。

 「夏の暑い日で、兄弟(教会員)でいっぱいの部屋でした。冬の背広を着た私は、下着まで汗でびっしょり濡れて、緊張して正座していました。『何をしているの』と聞いてくださり、『録音しています』とお答えすると『声の泥棒だね』とおっしゃり、私は何と答えてよいか分からず戸惑っていると、そんな私を見てニコッと微笑んでくださったのをよく覚えています」

(『ファミリー』19911月号より』

 その時は「本郷之都創造世界」という揮毫を下さいました。