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日本を愛した文先生の足跡 1
仙台

(光言社『グラフ新天地』382号[2000年5月号]「日本を愛される文先生の足跡」より)

 8月20日に迎える「文鮮明(ムン・ソンミョン)天地人真の父母天宙聖和」12周年を記念して、毎週火曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)

1965210日午前056

 1965210日午前056分、仙台の地に歴史的な1ページが記されることになりました。9日早朝札幌を出発された文鮮明先生ご一行が、仙台に到着されたのです。

 文先生は午前140分から「神と逢う所」と題してみ言を語られました。午前4時からは西川勝(韓国名・崔奉春〈チェ・ボンチュン〉)先生を中心に交流の場が持たれ、気がついた時には朝日が部屋を照らしていました。

 午前1045分、マイクロバスとハイヤーに分乗して、青葉城に向かいました。聖地を決定するためです。文先生が決められた聖地からは、仙台の街を一望のもとに見下ろすことができます。

▲聖地決定に際して、聖塩で聖別される文先生。
後方は久保木修己初代会長(1965210日、青葉城内)

 また文先生は仙台のために「天國花仙台」という揮毫(きごう)を下さり、午後1時発の飛行機で羽田に向かわれました。

▲文先生が書かれた揮毫(1965210日)

深々と頭を下げて祈られる後ろ姿

 次に文先生が仙台を訪問されたのは、196771819日のことでした。当時、仙台教会にいた中村武子さんは語ります。

 「お話しの後、先生がお休みになったのは午前2時ごろではないかと思います。寝室に入られた後、着替えをお持ちでなかったことが分かり、急いで汗で濡れたワイシャツを洗濯し、朝早くアイロンをおかけして先生のお部屋の前までお持ちしました。まだ5時前でした。

 洗濯物を戸の前に置こうとして、びっくりしました。ふすまの隙間から先生のお姿が見えたのです。布団の上に正座され、両手をついて深々と頭を下げて祈っておられる先生の後ろ姿でした。先生はいつもわずかな時間しか眠られないと伺っておりましたが、そのお姿を目のあたりにし、私は一瞬そこに立ちすくんでしまいました。先生は多分1時間か2時間くらいしか眠られなかったのではないかと思います」(『ファミリー』1983年5月号より)

▲み言を語られる文先生(1967年7月、仙台教会所蔵)

 「イエス様のことをお聞かせ下さい」。これが仙台教会の一室で文先生に最初にお会いしたときの私の質問でした。先生は「かわいそうな男だよ」と、たった一言、振り向かれて答えられました。その時の先生の悲しそうな、その言葉と表情は今も忘れることができません。(山岡建雄氏、『ファミリー』1981年8月号より)

▲仙台駅にて(19677月、仙台教会所蔵)

▲仙台市内を走る「希望の日」フェスティバルの宣伝カー(1975年)

◎聖地を決定された意義
 韓国で勝利した基準を、世界まで因縁づけてあげなければならない。すなわち、韓国の子女によって、全人類をアダム、エバの堕落直前の立場にまで昇格させてあげたいので、ここに土地が必要なのである。これが、世界に聖地を定めた理由である。(『御旨の道』より)