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★GW特別配信★
文信出様のメッセージ
全ての人を愛する人に

2024年121
孝成家庭教会

 2024年1月21日、孝成家庭教会で全国にネット中継される中、「天命賛美礼拝」がささげられました。その礼拝で、文信出(ムン・シンチュル)様が語られたスピーチを紹介します。(『SEIWAマガジン』2024年3月号より)
 全文は、『世界家庭』2024年3月号をご覧ください。

兄弟としてお互いを愛し、全ての人を愛する人となりましょう

ただ、自分の生活圏の中で、真の父母様に触れた人生はどういう人生だと、証明すればいいのです

 私は、高校1年生の頃に初めて信仰を持ちました。こう言うと、「あれ、でも小学生の頃から行事で見た気がする」と思うかもしれませんが、実は、その頃は何でそういう行事に行っているのか、よく分かっていませんでしたね。ただ、週末が奪われる、くらいに思っていました。(笑い)

 でも、ある転換点がありました。それを説明すると、話がとても長引くので省略します。(笑い)その転換点のおかげで、私は自らの信仰を持つことができました。しかし、信仰を持てば持つほど、沼に落ちていく気持ちでした。なぜかというと、今まで自分が当たり前のように生きてきた、この人生の全てが、どこから出てきたのかを学んだからです。摂理歴史や真の父母様の生涯路程を勉強すればするほど、自分が、食口たち、そして真の父母様の血と汗と涙の上に立っている気持ちになりました。

 当時は、本当に教会に行きたくなかったですね。期待がこもっている目線がもう本当にきつくて。自分という人間は本当に不足なのに、真の父母様が背負ったその責任を自分も手伝わなければいけないと考えると、もう存在価値がなくなる気持ちでした。

中心人物たちの歩みを知り
沼から出ることができた

 その沼から出られたきっかけは、モーセ路程でした。モーセは、まあ、パッと見たら、本当に素晴らしい指導者です。もう、わがままな子供のようなイスラエル民族を連れて(笑い)、人生を懸けて荒野路程を勝利し、カナンの直前まで行った指導者です。

 だから、それだけ見たら、「ああ、モーセは本当に有能な、すごい人物だな」と思うかもしれませんが、じっくり見たら、モーセはもう短気で、弱虫で、本当に弱い人間でした。神様と初対面のときも逃げ、断食して十個のルール(十戒が刻まれた石板)をもらったときも、自分の怒りを抑え切れなくて、それを割って、また断食して……。

 最後、カナンの直前でイスラエル民族たちがまた「あ~、水ちょうだい」と騒いでいたら、モーセは磐石を2回叩きましたね。それが、イエス様にサタンが侵入できる条件になりました。

 そのように見れば、実はモーセのせいで、摂理が相当遅れましたよ。それでも、なぜモーセがいまだに中心人物として責任を果たした人物だと見られるかを考えたときに、有能だからではなくて、最後まで神様を信じてみ旨を歩んだからこそ、失敗をしながらも、中心人物として責任を果たしたと見られることに気づきました。

 そのとき、他の中心人物たちも同じように見えました。アブラハムも、本当に難しい祭物二つを捧げて、最後の一つを残して休んでしまって、摂理をまた遅らせて。ノアも、言ってみれば、120年間、箱舟をつくっただけですね。(笑い)それは、才能がいらないですよ。誰でもできますよ、本当に。考えてくださいよ。意志があれば、できることです。

 でも、それに気づいた瞬間、沼から強制的に出された気持ちでした。そのような中心人物たちも、責任を持った瞬間に、「自分は不足ですが、最後まで頑張っていきます」と、神様の前に誓っていくのに。私も本当に不足な身だけれど、行かなければならないと。もう言い訳ができなくなった気持ちでした。

真に愛そうと努力すれば
父母様の志がつながれる

 私は、孫だからこの道を歩んでいるわけではないです。私たちが献金をして、活動して、伝道する理由が何かを忘れてはいけません。教会の復興(のため)ではないのです。それらは、地上天国を果たすための仕組みにすぎないのです。

 私たちが、生活の中で、日々の中で、真の父母様から学んだその心をもって、本当に真に周りを愛そうと努力し、本当に真に人生を生きようと努力すれば、私たちの中で真の父母様が生きて、意志がつながれていくのです。

 それが本当に難しいことは、私も分かりますよ。私にも愛しづらい人がいます。でも、真の父母様だから、自分のいちばん憎んでいる人を愛せるわけではないのです。真の父母様も、そのための努力が必要だったのです。だから、もう言い訳はつくらないでください。私たちにもできるのです、真の父母様ができたことが。

 本当にお願いします。私たちは兄弟姉妹です。愛しづらい兄弟姉妹も、当然います。でも、けんかしながらも、兄弟としてお互いを愛し、教会の人だけではなく、世界の全てを愛する、そういう人になれば大丈夫です。

 ただ、自分の生活圏の中で、真の父母様に触れた人生はどういう人生だと、証明すればいいのです。

 一緒に努力していきましょうよ。(アージュ! 拍手)


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