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自叙伝書写 感動体験集
44回 荒ぶる父が書写から祝福を受けて「花咲かじいさん」に

(女性 50代)

 「自叙伝書写 感動体験集」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。
 初出は2018年に配信されたものです。

 私が書写に出合ったのは4年前。東日本大震災の直後、被災した義父(以下、父)の安否を尋ねて三陸沿岸から戻ってきたばかりの時でした。

 故郷の人も町も無残に砕かれた様を目の当たりにして、粉々になりそうな心を抱えあぜんとしていた時でしたが、書写をすると、言葉がすーっと心の深い所まで染み渡るのを感じました。

 父の家は全壊。故郷を離れたくないと言って、仮設住宅で頑張ることを選んだ父でしたが、当時89歳で独り暮しでした。私たち夫婦は月に一度仮設住宅に泊まりに行って、一緒に過ごすようにしました。

 2012年暮れ。そんな父に、認知症とアルコール中毒の症状が現れました。とてもひとりにはできないと、すぐにわが家に連れてきて同居を始めましたが、その同居生活は本当にすさまじいものとなりました。

 激しい怒りをまき散らす以外に何もできなくなってしまった父は、連日あらゆる暴言を浴びせ、暴力を振るうようになりました。

 私は恐ろしくて一緒に食事もできなくなり、同じ空気を吸うのがつらくなると、家の外に逃げました。自分の心に嫌悪感が湧くことこそが“地獄”なのだと思いました。主人も父に対する怒りを抑えられなくなっていき、「私たちは何かの事件を起こしてしまうかもしれない」とまで思いました。

 父が入院した時には看護師さんたちに嫌な思いをさせてしまい、師長さんは「このままでは家庭が壊れてしまうから」と、父の施設入所を勧めました。その時ふと私は、「荒れ狂う父に書写を勧めてみよう」と思い立ちました。

 不思議なことに、父は書写にはとても関心を示し、集中して筆を持ちました。私も必死に書写をし、心の復興と家庭の平和を心底願いました。

 書写には瞑想(めいそう)するひとときがありますが、瞑想しながら父の人生をたどってみると、ぼろぼろ泣けてくるのでした。

 本当に大切にされていると思ったことがなく、深く傷ついているのは父自身だと感じられました。そして、父が人を傷つけること以上に、その罪を責める私の思いが家庭を内側から壊しているのだ、と分かっていきました。だんだん、父の罪と私の罪は重なっていきました。

 私が泣いて謝ると、父は「頭を丸めたい」と言いました。謝れるというのは本当にありがたいことです。この時から、私は父に対して、心からの笑顔で接することができるようになりました。

 父も生まれ変わったように、穏やかで意欲的な人になっていきました。家庭書写会では、ご近所の小学生の兄弟と書写をしたり、習っている空手を見せてもらったりすることを心から喜びました。

 一緒に犬と散歩し、公園で泥遊びもしました。そのご家族も参加するからと、大きな会場での書写セミナーにも参加し、浅川勇男先生の講演も聞けるようになっていきました。

 情感が戻ってきた父は、亡くなった義母とずっと一緒にいたいと、永遠の結婚である祝福結婚まで受けました。さらには、父と私の変わりようを見て、主人と主人の姉までが祝福結婚を受けてくれました。

 驚いたのは、父が孫である娘の祝福結婚を応援してくれたことです。「まあいいんでないか、許してやれや」と父が言うと、「俺は別に反対してないよ」と笑う主人。娘は「奇跡が起きた!」と喜びました。

 父は現在92歳。相変わらず認知症ですが、書写を続けるうちに、心がとても生き生きとしてきました。私が自叙伝を読んであげると、本当にうれしそうにします。

 アルコールは要らなくなり、その代わりに父が毎日欲しがるのは、私たち家族の笑顔とユーモアと、あったか~い湯タンポです。

 東北では、津波が来た所に桜が植えられていますが、まるで大震災そのもののようだった父が、今では親子三代と親戚に祝福の花を咲かせる「花咲かじいさん」になっています。