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統一原理Q&A 15

 「統一原理Q&A」を毎週金曜日配信(予定)でお届けしています。
 統一原理に関する解説が分かりやすくコンパクトにまとめられています。統一原理への理解を深めるために、ぜひ読んでいただきたいシリーズです。

白井康友・著

(光言社・刊『統一原理Q&A み言による神の心情の再発見』より)

Q:神はアブラハムに「イサクを燔祭として捧げよ」と命令され、それによって「象徴献祭」の失敗を蕩減復帰する新たな摂理をされたと聞きましたが、アブラハムがイサク献祭に成功したと、神が認めることのできた根本的理由はどこにあったのでしょうか、詳しく説明してください。


A:アブラハムが、イサクを燔祭として捧げるため殺そうとした時、神が彼を殺すなと命令されたのは、アブラハムの中に神が取ることのできる勝利条件があったからですが、その内容とはいったい何か探求してみましょう。

 第一に、アブラハム夫妻には長い間子供が生まれず、年老いてようやく授かった子供がイサクでしたから、大変かわいがっていたことが容易に想像できます。第二に、創世記一五章四、五節にあるごとく、神はイサクを通して選民を召命なさることを約束されたので、イサクは老人アブラハムにとって唯一の希望であり、喜びであり、自分の命以上のものであったに違いありません。

 そのイサクを殺して燔祭として捧げるということは、親としてのわずかな人情的思いがあったならばできないことです。それゆえ、アブラハムはひたすら天情に徹しきり、絶対的信仰を貫いて、完全に自分自身を殺した立場に立っていました。この自分自身とは、以前象徴献祭に失敗してサタンに侵入された自分自身ですから、この瞬間にアブラハムからサタンが分立されたといえます。

 また、イサクにおいても、創世記二二章七節から推測すると、既にみ旨が理解できる年齢になっていたことは明らかです。それゆえ、燔祭のために自分を殺そうとする父親に抵抗することもでき、そうすれば当然、このイサク献祭は失敗に終わったはずです。しかし実際には、父アブラハムと完全に心情一致していたイサクは、アブラハムを信じ、アブラハムの背後で導いておられる神を信じて、素直に従順に従っていきました。ゆえに父アブラハムが刃物を振りかざした瞬間は、すべてを委ねてイサクも完全に死んだ立場にありました。この瞬間、サタンに侵入された象徴献祭の供え物の代わりのイサクの立場から、サタンが完全に分立されたということができます。

▲アブラハムの捧げ物

 このようにアブラハムの忠誠と、それに劣らないイサクの忠誠とが合致して、イサク献祭は成功し、サタンを分立することができ、二人とも死んだ立場から再びよみがえることができたのです。

 ところで、予定論で明らかなように、自分の責任分担を果たせずに失敗した張本人であるアブラハムを中心としては、同じ摂理を再び繰り返すことができません。そこで神は、イサク献祭を通して、アブラハムに「象徴献祭」失敗によって侵入したサタンを分立させることで失敗しなかった立場に立たせ、その上でみ旨の前に従順に屈伏してアブラハムと一体化したイサクに、アブラハムの摂理的使命を受け継がせたので、この献祭成功以後、「信仰基台」の中心人物は、アブラハムからイサクヘと移行されたのです。

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 次回は、「幕屋の意義と目的について」をお届けします。