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幸福への「処方箋」19

 「幸福への『処方箋』」を毎週火曜日配信(予定)でお届けいたします。

野村 健二(統一思想研究院元院長)・著

(光言社・刊『幸福への「処方箋」~統一原理のやさしい理解』より)

第一部 統一原理——その基本的枠組み

第三章 幸福実現の方策—「蕩減復帰原理」

 第二章で述べたように、人間の始祖、アダムとエバが犯した原罪のために、元来は切っても切れない親子の関係であった神と人間との愛の絆(きずな)が断ち切られ、授受作用ができないようになってしまいました。その根本原因は、まず天使長ルーシェル(サタン)がエバを誘惑して霊的な姦淫(かんいん)の罪を犯し、ついでエバが自分と同じく完成の途上にあったアダムと肉的な性の関係をもつに至ったことにありました。

 これはルーシェルの誘惑によるものだとはいえ、人間は神の子であり、ルーシェルは神の僕(しもべ)で、人間のほうが主体であり、神は人間にだけ「善悪を知る木」の実を取って食べてはならないという戒めを与えておられたので、堕落した責任は人間の側にあります。

 それでは神は、人間の側の過ちだからといって、立腹し全く顧みられなくなるのでしょうか。『聖書』はこの問題について極めて明確に答えています。

 「わたしは終りの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う、『わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとくなし遂げる』と」(イザヤ46・10)

 ここで「わたしの計りごと」というのは人間を救う摂理のことです。しかし、神がこういう救いの摂理をなさるのは、一定の“償いの条件”が満たされてからです。これを統一原理は「蕩減(とうげん)条件」と呼んでいます。

蕩減復帰とは
 「元来、人間始祖が堕落しないで完成し、神と心情において一体となることができたならば、彼らは神のみに対して生活する立場におかれるはずであった。しかし、彼らは堕落してサタンと血縁関係を結んだので、一方ではまた、サタンとも対応しなければならない立場におかれるようになった」(『原理講論』272頁)。このような「神とも、またサタンとも対応することができる中間位置」にあって、「堕落人間は彼自身が善なる条件を立てたときには天(註:神)の側に、悪なる条件を立てたときにはサタンの側に分立される」(講論272〜273頁)。

 すなわち、神もサタンもどちらも人間を強制的に奪っていくことができず、人間の自由意志次第でどちら側にもなり得るという状況のもとで、人間の「本来の位置と状態」である神の側に復帰しようとすれば、「必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない」。このような条件を立てることを統一原理は「蕩減」と呼び、また、「堕落人間がこのような条件を立てて、創造本然の位置と状態へと再び戻っていくこと」を「蕩減復帰」といい、「蕩減復帰のために立てる条件のこと」を「蕩減条件」と呼びます(講論273〜274頁)。

 では具体的に蕩減条件をどのような方法で立てるかといえば、「どのようなものであっても、本来の位置と状態から離れた立場から原状へと復帰するためには、それらから離れるようになった経路と反対の経路をたどる」というかたちで「蕩減条件を立てなければならない」(講論275〜276頁)。

 たとえば、後述するように、人類の救済の中軸となるように、神によって選ばれ、育てられたイスラエル民族は、神がつかわされたメシヤ―イエスを憎んで、彼を十字架につけるという過ちを犯しましたが、「彼らがそのような立場から再び救いを受けて、選民の立場を復帰するためには、以前とは反対にイエスを愛し、彼のために自ら十字架を負うてついていくというところまで進まなければならない」(講論276頁)というのです。

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 次回は、「メシヤのための基台」をお届けします