2024.01.19 12:00
統一原理Q&A 3
「統一原理Q&A」を毎週金曜日配信(予定)でお届けしています。
統一原理に関する解説が分かりやすくコンパクトにまとめられています。統一原理への理解を深めるために、ぜひ読んでいただきたいシリーズです。
白井康友・著
Q:創造目的の中に記されている「三大祝福」は、人生の根本目的として大切な教えであると思いますが、その出発点である神の第一祝福としての「個性完成」とは、私たちが信仰生活を歩む中で具体的にどのような基準を全うしていくことなのでしょうか、説明してください。
A:まず『原理講論』の定義としての、個性完成とは、「神の二性性相の対象として分立された心と体が、授受作用によって合性一体化して、それ自体において、神を中心として個体的な四位基台をつくらなければならない」(66頁)と記されています。
それゆえ、個体的な四位基台を完成した人間について説明してみますと、第一に「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(コリントⅠ三・一六)と聖句にあるごとく、神が心の中に臨在されるところの神の宮となる人間なのです。そして、イエスが「わたしが父(神)におり、父(神)がわたしにおられる」(ヨハネ一四・一○)と語られているごとく、神と一体化して神性をもつようになり、神の心情を体恤することによって、神のみ旨を知り、そのみ旨に従って生活をするようになります。
このような神と心情一体化した人間の内容に関して、文先生は「神と一つになった生活は、一つの偉大な生き方であります。それは神と共にある生活、神にある生活、そして神があなたの中に生きておられる生活です。神と人間とは焼き尽くすような愛で一つに抱き合うでしょう。それが、神が生きた実在としておられる状態なのです」(「人間に対する神の希望」1973・10・20)と語っておられます。
また、「ひとたびこのような個性完成された状態に到達したならば、あなたはもはや祈る必要はなくなるのです。どうして祈る必要などあるでしょうか。あなたは顔と顔とを合わせて神と会い、心と心を合わせて神と共に生活するのです。神と一問一答し、あなたはもはや宗教を必要とせず、救い主を必要としなくなるのです。これらのすべての宗教的な事柄は、治療の過程、すなわち復帰の過程における一側面にすぎないのです。完全に健康な人は医者を必要としないように、神と完全に一つになった人は救い主を必要としないのであります」(「前掲の御言」)とも述べています。
このことは、「信仰生活」(信仰を生活化する)を越えた「生活信仰」(生活がそのまま信仰と一致する)の状態であるといえます。
第二に、愛の基準から見てみると、子女の愛を確立することです。子女の愛とは縦的基準から見ると、神を親とし、人間が子女の立場で親子の愛の心情関係を確立していくことです。
このことについて、文先生は「個性完成した人間は神の愛に酔うようにつくられているのです。その喜びの感覚に勝るものは他にありません。あなたの体の細胞の一つ一つが喜びで爆発するでしょう。目も耳も顔の神経も、腕も、足も、すべてが喜びの歓喜のうちに新たに生きるようになるでしょう」(「前掲の御言」)と語っておられます。
次に、横的基準から見てみると、子女の愛とは兄弟愛、隣人愛のことであり、それが郷土愛、民族愛、祖国愛、人類愛まで拡大されていきます。そのような人類を兄弟姉妹として愛する普遍的な愛を体得した人が、本当の意味において永遠性をもって一人の相対者を愛することができるので、子女の愛(第一祝福)の基盤の上に、夫婦の愛(第二祝福)へと出発することができるのです。
第三に、『原理講論』の「喜びの定義」によれば、個性を完成した人間は神の本性相と本形状の実体対象となるので、神が心から喜ばれる喜びの対象となります。すなわち神を基準として、神が心から喜びを感ずるか否かによって個性完成の基準が決定されることが分かります。そのことについては次のようなことがいえます。
個性を完成した人間の心は神の心情と一つになっているので、神の喜びは人間の喜びであり、人間が自分自身の姿を見て心から喜びを感ずることが個性完成の基準であるともいえます。すなわち真の意味において自分を誇る生活なのです。
しかし私たちは、とかく自己卑下しやすい体質があり、自分を誇ることはなかなか難しいものです。そこでまず考えるべきことは、自分は自分のものではなく、絶対者(神)のものであり、神に所有される自分であると自覚することです。その時、神が自分を絶対視しているがゆえに、私たちも自分自身を絶対視、貴重視して、自分を大切なものとして誇ることができるのです。それが文先生の生き方であり、完成人間としての重要なポイントです。
第四に、前述のように、個性完成した人間は神の喜怒哀楽を直ちに自分のものとして感ずることができるので、神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなります。文先生が『御旨の道』の中で、「絶対に天を裏切ってはならない! これが統一精神である」(19頁)と述べられていることは、正に以上のような内容を意味しています。
個性完成とは言い換えれば、絶対に堕落しない基準であり、初めて神が永遠に安息できる基準なのです。
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次回は、「三対象の愛について」をお届けします。