神様はいつも見ている 31
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」を毎週土曜日配信(予定)でお届けします。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第5部 文鮮明師との出会い
2. このおかたはやくざの親分?

 食事のことでストレスを感じていたとはいえ、私の訪韓の目的は、統一教会(現・家庭連合)の教えを説いた文鮮明(ムン・ソンミョン)師にお会いすることだった。食べ物のことなど問題ではない。

 何しろ、地上のことだけでなく、天上世界の秘密まで解き明かされた神様のような存在が文師なのである。
 そのお姿に接することが、今回の目的を果たすことになる。そして私はそのことをずっと願ってきたのだ。

 神道では、神様といえば、とにかく清く尊く恐れ多い存在である。
 御簾(すだれ)の向こうにいらっしゃる高貴なおかたであり、人間的なものを超越した神秘的な威厳を感じさせる存在なのだ。
 そのようなおかたと私は今まさにお会いしようとしているのだ。
 いやが応でも、私の期待は高まった。

 ついにその時は来た。
 初めてお会いした文師は、とにかく大男という印象だった。しかもラフな格好で、宗教者というよりは政治家、もう一言言わせてもらえば、やくざの親分のような威圧感と迫力がひしひしと伝わってきた。

 お会いする前の私には、「文鮮明」というおかたは、偉大な人物の風儀で、黙してあまり語らず、ここぞという場面を捉えてズバッと核心的な一言を発せられるのではないか、という勝手な思い込みがあった。

 会見の場所は、割合狭い部屋だった。文師は私たちを迎えた途端にマシンガントークのように語り出した。

 日本語で話していらっしゃるのだが、あまりにも早口なので聞き取るのが難しい。最初は何を話しているのか、全く分からなかった。
 その姿は、神秘的なイメージとは程遠いものだった。

 もちろん、ビデオなどで文師のことは何度となく拝見していたのだが、それはあくまでも画面を通しての姿だった。
 実際にお会いすれば、もっと違った威厳や神秘的な感動が与えられるのではないか、とひそかに私は期待していたのだ。

 だが、その期待は打ち砕かれた。
 日本からはるばるやって来た私たちの前でも、日頃から寝食を共にしている仲間に対するように、自然に、そして自由に文師は振る舞った。

 文師は、話に熱中すると、無意識なのか、履いていた靴下を脱いで、それをくるくる振り回しながら怒鳴るようにしゃべった。
 これには驚いた。

 「このおかたが本当にメシヤなのか?」

 もちろん、目に見える部分だけで全てを判断するわけにはいかないが、事前に多大な期待感を抱いていただけに、反動は大きかった。失望の念は禁じ得なかったのである。

 韓国料理が全く合わなかった私は、韓国滞在中飲まず食わずの状態で、頭はがんがんするし、思うように意識を集中できず、体調は最悪だった。

 文師に抱いていた神秘的なイメージが崩れると同時に、一刻も早く日本に帰りたいという思いに襲われた。

 初めての韓国、待ち望んだ初めての文師との出会い…。最初の出会いは試練に始まり試練で終わった。

 私は逃げるように帰国の途に就いたのである。

(続く)

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 次回は、「あのかたでなければ人類を救えない」をお届けします。